第5章 忍れど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
「通力を持つ私から、獣たちは一歩引く。」
突然に天狐が喋り出して、思わず幻聴かと自分の耳を疑った。
しかし、天狐が首をもたげ俺の方をしっかり見たから、幻聴じゃないと納得させた。
「何度か雄と添った事がある。しかし、それはただの興味で、時期になれば離れて行く。」
「女としては見てくれなかったってことか。」
「狐は好奇心が強い。それが身を滅ぼす事も、時にこうやって新な発見もある。」
天狐はその場に座り直し、そこらの狐とは一線を画堂々たる居住まいになる。
こうやって見れば、やはり天狐はただの狐ではない。
急に天狐が人の形を取り、また言葉を続ける。
「ただのう。狐にも馴れぬ、人間にも馴れぬ、他の獣も同意じゃ。」
人の姿を取れば途端に表情が解る。
諦めの様な、困ったような寂しい顔。
「つまらぬ。」
「つまらない?」
「誰も私を私として見てはくれないからだ。まるで涅槃図の獣のように扱う。」
「そりゃ。他より強い力を持つ奴がいれば、尊敬するし自分を卑下しちまうだろうな。」
「ただの狐と生きたいのに。」
はぁ。と大きくため息をつく様子は、この世に生れて4年のため息ではない。
そうか。
だからこいつはあまり狐のいないあの山に居ついて、囃し立ててくれる鹿たちと暮らし、ここに降りてきては暇をつぶすように菓子をねだるのか。
自分を贔屓目で見る狐がいないところを探して。
「別にいいじゃねぇか。好きなように生きりゃ。めんどくさいだろ、あーだこーだ考えるの。」
「は?」
「誰かの指示に従って何かしてる訳じゃねぇなら、好きなだけここにいればいい。俺たちとしちゃ、お前が鹿によくしてれるから万々歳だ。」
間抜けな顔をして俺を見つめる金の瞳は、やっぱり人間っぽくて笑えた。
徐々に膨らんでいく、人間に化けても消えない白黒逆転した太い筆尻尾。
耳は相変わらずピンと立ったままで俺に向けられていて、なにも聞き逃すまいと言っている。