第3章 春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に いで立つ娘子
木の葉に隠れ隠れになっていたその人の顔が、月明かりに照らされ良く見えた。
艶やかな長い黒髪に、細い狐目、色素の薄い金色の瞳。
そして頭には、人間には決して無い黒い毛におおわれた獣の耳、それから腰には豊かと表現するのがいいのだろうか、ふわふわの尾先の白い黒い尾。
人間じゃねぇ。
「まるであの時とは正反対じゃ。」
クスクスと楽しそうに笑うこいつはどう見たって人間とはかけ離れている。
いや、何となく見覚えがある気がする。
「きつね…狐?」
「そう!あの時は私を介抱してくれたのじゃろう?本当に助かった。」
「待て待て待て、は?は?」
はい、そうですか。とはいかねェだろ。
にっこりと笑顔で敵意が無いのはいいことだが、狐が人間の姿になってお礼をするなんて昔話の世界だろ。
「本来、人の姿を取るのを見られてはいかんのだが、お前には深い恩がある。」
多少は良いじゃろう。と豪快に笑う姿からは、あの時保護して手当てした黒い狐となかなか被らない。
「伝承に良く聞くように、一つ、シカマルの願いを聞こう!どうじゃ?」
「どうって、あのなぁ。別に俺はお前が元気なら何もいらねェよ。」
「ふぅん。人間とは欲の塊みたいなものじゃと聞いておったが、そうでもないんじゃな。」
よっこいしょ。とその場に立ちあがる自分は助けられた狐だと言った人間。
背は俺より低い。歩き慣れない子供のように少しふらふらしながら、その場で変化を解くようにポン。とあの時の黒い狐に姿を戻した。
疑っていた訳じゃ無いが、本当にあの時の狐だったようだ。
「じゃぁ。また何処かでな。」
人間の言葉でそう告げて、あの時と同じように草むらに姿を消してしまった。
少し開けた山の中腹に一人残された俺は、ただただ今のは何事だったのかと丸い月を見上げる事しかできなかった。