第9章 精神の崩落
しかしそんなことは口にできない。風丸は自分の不安や恐れを彼女にだけは隠し通すことを決めた。自分が花織にとって相応しい、情けない肝の小さい男だと思われない様に。何に対して不安を感じていても花織の前だけでは虚勢を張っていたいと思った。
小さな歪みだった。小さすぎて気づかないくらい少しずつ、彼らの気持ちはすれ違う。
「ああ。……すまない、花織。変なことを言って」
「ううん、何かあったら相談して?私はマネージャーだし、……それに一郎太くんの彼女だから。私が一郎太くんの力になりたい」
そう言って屈託なく笑ってくれる花織が愛おしい。風丸は花織の背をキャラバンに押し付け、彼女の黒い瞳を覗きこんだ。彼女が自分をこれほどまでに心配してくれることが嬉しい。だがきっと、優しい彼女のことだから他のチームメイトのことでもきっと同じくらいの心配をするのだろう。そう思うと彼の中では黒く粘っこい感情が増幅するようだった。無性に花織のすべてを支配したいような気分になって今度は彼が、花織の頬を両手で包む。
「……花織」
唇から言葉が紡がれるのとその行為はほぼ同時であった。花織はどきりと、ときめきとも恐怖ともつかない心臓の拍動を感じながらも、彼を受け入れる。一瞬彼の瞳が以前、見たものと同じように加虐的に色づいたような気がした。だが彼の思うがまま蹂躙され、そんな考えは酸素と共にどこかへ追いやられる。いつもであればこれほど花織が追いつめられるような口づけはしないだろうに。
「……ん」
彼女の膝が今にも頽れそうにがくがくと震えた。花織は彼のジャージの胸元を強く握り、何とか自分がその場にしゃがみ込まないように彼に縋る。花織がもはや立っていられそうにないことに気が付いたのか、風丸は花織の両足の間に自分の右足の膝を割り入れ、唇を離す。
「花織」
うっすらと目に涙を溜めて自分を見つめる瞳が、自分の所作で息を荒げる姿が妙に扇情的だった。今彼女の思考を統べるのは自分で、彼女の瞳に自分以外が映っていないのだと思うと満たされるような気持ちになった。