第37章 夏の小江戸へ君を連れて
よし、これで良いだろう!
多くの絵馬が所狭しと並ぶ中、一番上に俺は願いを書いたそれを結びつけた。
七瀬の絵馬は —— む? 何故裏返しにしている?
「恥ずかしいんです、見られるのが」
「これだけ多いんだ。悪目立ちはしないと思うぞ?」
「あ、ダメです〜!」
「すまん、すまん。その顔が見たくてな!」
彼女が書いた絵馬を表面にするフリをしよう。
ほんの少しのいたずら心だ。七瀬は慌てて俺の手の甲を押さえて来る。
「もう…かんべんして下さい」
彼女には悪いが、やはり困った顔が愛らしい。互いの願いが叶うよう、両手を絵馬に合わすと、七瀬も同じように隣で手を合わしている。
回廊に飾られている江戸風鈴がどうやら購入できるらしい。
先程列に並んでいた時に聞いた俺達は、社務所に立ち寄り、我が家用に一つ買ったのち、川越氷川神社を後にした。
神社を出た後は、蔵造りの建物が立ち並ぶ川越の一番街にやって来た。左手奥には「時の鐘」と呼ばれる鐘楼(しゅろう)が見える。
明治二十六年に起きた川越大火の翌年に再建された物で三層構造との事。高さは約十六メートルだ。
「時の鐘は後で向かおう」と約束し、俺と彼女が向かったのは「中川屋」と言う甘味処。ここは先程電車の中の会話で出た店だ。
「あ、さっき言いかけましたよね? あれってどんな事だったんですか?」
店の暖簾をくぐる直前、七瀬がそんな事を問いかけて来る。
丁度話そうとした頃合いで乗り換えの案内があった為、すっかり言いそびれていたのを思い出した。
「うむ、実はな。ここは父と母がよく来ていたお店らしいぞ!」
「えー素敵ですね。それは、ますます楽しみです」
引き戸をガラリと開けると、目の前に飛び込んで来たのは店内で食事をしている多くの客達だ。
大分繁盛しているらしい。父から聞いていた通りだな。
どこか空いている席があるか —— およそ二十畳程の広さの店内を見回していると、何やら見覚えのあるひと組の男女が座っているではないか。