第35章 心炎八雲、今宵も甘えて混ざりあって ✳︎✳︎
いつも余裕の恋人が、この瞬間だけはそうじゃなくなる。
私はこの彼を見るのが凄く好きだ。
呼吸を整え終わった後、杏寿郎さんは文机に置いてあるちり紙で私のお腹を丁寧に拭き取ると、上からぎゅっ……と抱きしめてくれる。
「危なかった」
「……何がですか?」
汗の粒が浮かんでいる彼の背中をゆっくりと撫でていると、上から一つ優しい雨がおでこに降って来た。
それから唇を親指でゆっくりとなぞられる。
「来てほしいと言われて、一瞬だが出してしまいそうになったぞ。君の中に」
「…言ってましたね…」
それだけじゃなく、あの時は自分の中に入って来て欲しかったのだ。思い出すだけで全身がまた熱くなって来る。
でも —— いつかはそう言う事になったら。
その時私は杏寿郎さんにとってどんな存在になっているのだろう。
「ん? 何か言いたい事があるんじゃないのか?」
「うーん、あるけど今は言いません。秘密です」
「む……そうか」
「はい、すみません」
いつもピンと上向きになっている彼の眉毛が途端に垂れ下がった。
うっ……杏寿郎さん、かわいい。
この顔を見るとついつい言いたくなるけど、我慢しなきゃ。
そのかわりに——
「杏寿郎さん」
「どうした?」
唇をなぞっていた指が外され、大きな手が私の両頬を包み込んだ。
双眸に浮かんでいるのは、多くの疑問符。
「あなたが大好きです。本当に好き」
本当の事が言えなくてごめんなさい。
思い切って目を瞑ると、唇にまた優しい優しい雨が降った。
「……君は俺を誘うのが上手いな」
“大好きだ、七瀬。ずっとずっと…側にいてくれ”
耳に、体に、響き渡るのは恋人からの色香の言葉。