第29章 褒められ日和に、橙が咲く ✳︎✳︎
「そうなんです…」
七瀬はハケを容器にしまうと、文机に静かに置いた。
彼女の視線が自分の爪先に届く。一体どうなのだろうか。宇髄は見慣れていると言う事もあるが、彼によく似合っていると思う。
「杏寿郎さん………凄く綺麗です」
「うむ…自分ではよくわからないが…そうか?」
「はい。やっぱり似合いますよ」
彼女に綺麗と言われた。
そんな形容詞が自分に向けられる日が来るとは! よもや、よもや。
「すみません、これはちょっと門外不出…と言いますか、私以外には見せたくありません」
「無論、君以外に見せるつもりはないぞ」
七瀬だから、君だから見てもらいたいと思ったのだ。二人で出かける時は必ず指先を彩ってくれる愛しい恋人に。
「七瀬、俺も君に塗って良いだろうか」
「え……?」
★
「案外難しいものだな…」
「慣れもあるんじゃないでしょうか…あ、でも上手ですよ」
「うむ、こんなものか」
最後の小指を塗り終えた。せっかく塗るなら、ムラなくやりたい。その一心でハケを動かしたが、なかなか上手くいったように思う。
容器を文机に置き、彼女の爪先をじっと見つめる。橙色は気分を明るくする効果もあるのだな。顔をあげると、七瀬の笑顔も眩しく見える。
「私が塗るより綺麗です。やっぱり杏寿郎さんは繊細な作業も得意ですよね…」
自分の爪と同じ色が七瀬の爪でも明るく輝いている。
呼吸も俺と同じ物を使用する彼女だ。
揃いの物が一つ増えた気がして、気分は悪くない。
「緋色も似合っていたが、君はこちらの色の方が良い。とても馴染んでいる気がする」
「そうですか?ありがとうございます!杏寿郎さんがそう言ってくれるなら、毎日塗ろうかな…」
両手を幸せそうな表情で近づけて観察する七瀬は、大層微笑ましい。しかし ——
「毎日は困る」
「え……?」
「俺と二人でいる時だけにしてほしい」
やや戸惑っている彼女に、素直な気持ちを伝えた。