第29章 褒められ日和に、橙が咲く ✳︎✳︎
彼女の視線が自分の左手に落ちる。
「最近、男性も身だしなみとして爪だけ磨いたり、形を整えている方は結構いらっしゃるようですよ?宇髄さんも塗ってるじゃないですか…」
「う……む、しかしな……」
「俺は宇髄とは違う」
「なっ……!?」
「あ、杏寿郎さんの思ってる事当たったー。良かった」
ふふっと含み笑いをする七瀬に、やや面食らう。
最近自分の思考を彼女に予測される事が多い気がする。無論嫌ではないが……。
「湯浴みしたら案外簡単に落ちるんですけど」
「ほう…湯浴みか」
ふむ、それなら応じても良いな。戸惑っていた心だが、今の発言には少し思う事があった。
何故なら ——
「最近君と共に入っていない気がする」
「え……そうでしたか?」
彼女の右手を自分の左手できゅっ…と絡める。こうやって触れているのはほぼ毎日だ。しかし、湯浴みはどうだ。
一週間、いや二週間はしていないはず。
「たやすく落ちると言う事なら、是非お願いしたい」
こうして俺の心は決まった。そのしるしとして、触れるだけの口付けをゆっくりと彼女の爪先に落とす。
そのまま七瀬をじっと見つめると、頬が真っ赤に染まった恋人が力無く了承の返事をくれた。
★
「色は橙色にします」
「承知した」
七瀬と二人、彼女の部屋にやって来た。
向かい合って座ると、文机に置いてある小さな容器を手に持つ。
どうやらこれに爪紅が入っているらしい。
「塗っていきますね」
「うむ」
七瀬は俺の右手を自分の左手に乗せ、そこにハケで触れた。
爪に色が一つずつ宿っていく。不思議な感覚になりながらも、自分は動かずに彼女が塗っていく様子を続けて見る。
「はい、全部塗り終えました…すみません、乾くまでしばらくそのまま指を伸ばしておいて下さい」
「案外手間がかかるのだな」