第26章 七十ニ時間分の恋慕 ✳︎✳︎
ふと、彼女の右手を柔らかく掴んだ。豆がいくつも潰れた跡、固くなった掌……。
「俺と同じ、剣士の手だな。綺麗な手だ」
「普通の女の人はこんなに掌が固くないと思いますけど」
彼女が掴まれている手に視線を向け、ふうと一つため息をついた。
「七瀬」
「はい……」
やや真剣な声で彼女の名前を呼ぶと、恋人は何を言われるのだろうかと体を少しすくめる。
「俺が綺麗と言った時は素直に受けとってくれないか?」
「え……?」
グッと彼女に近づき、焦茶の瞳を間近で覗きこむ。すると七瀬の瞳の色が大きく揺れた。
「恥ずかしさからそう言う事を言ってしまうのはわからなくもないが……少しだけ寂しくなる」
「ん……」
普段は絶対言わない、言えないこの言葉。君の前だと言えてしまうのが不思議だ。優しく啄む口付けを七瀬に贈る。
「ありがとうございます……」
「うむ。素直な君は一段とかわいい」
はにかんで、お礼を口にする七瀬の頭をよしよし、と撫でる。彼女と恋仲になって、自分自身でも驚いた事がある。
それは七瀬を褒める事だ。
稽古時に上手くできた時や、俺の予想以上の事をやった時にも褒めてはいる。しかし、それは”剣士や継子としての彼女”
今は……”愛おしい恋人”として、彼女を褒めている。
「あ」
どうしたのだ? 何か腑に落ちた…そんな表情を見せる君だ。
「杏寿郎さんも私の事……」
「ん?」
「剣士としても見てくれるし、恋人としても見てくれるんだなあって思ったんです」
「どちらの君も俺は好きだからな」
「ふふ、嬉しいです」
俺は掴んでいた恋人の右手の掌に、口付けを落とした。花が咲いた笑顔、とはよく言うが…君の笑顔は本当にそんな表現に値するな……もっと咲かせたくなってしまう。