第25章 緋(あけ)と茜、初めての喧嘩
「待って下さい……」
後ろから声がかかり、左腕をそっと掴まれた。柔らかな感触がそこをあたたかくさせる。しかし、今の俺に彼女を受け止める余裕は少ない。
七瀬の手をゆっくりと外してその場を立ち去ろうとする。
瞬間、背中に再び覚えがある感覚が届いた。彼女が後ろから俺を抱きしめたのだ。
これには体の動きが止まってしまった。
じわりじわりと伝わる七瀬のぬくもり。それが更に背中に伝わって来る。彼女がより自分に密着した為だ。
「話もさせてもらえないんですか?」
「………」
話はしたい。
したいが…何と言えば良いのだ? 今はそれがわからない。
「大嫌いなんてウソです……ひどい事言ってしまって本当にごめんなさい」
トン、と小さな頭が背中に当たる。
あの言葉は間違いか……であれば —— 良かった。
「………」
体を包むのはこれまでに味わった事がないほどの安心感。
振り向いて彼女をしかと抱きしめたい。
そう思ったのだが、それより先に恋人の両腕が俺の体から力無く離れてしまった。
「呼び止めてすみません………また明日の稽古もよろしくお願いします」
『……七瀬!!』
振り向いた先に見えたのは、とぼとぼと自室に戻る彼女の後ろ姿だった。
こうしてはおられん! 俺は急ぎ足で自分の部屋へと戻り、ある物を手に持った。
全てはこれを買うと決めた時から始まってしまったのだ。知らず知らずの内に芽生えていたすれ違いの蕾。
これ以上育てるわけにはいかない。右手で少し握りこみながら、懐へと忍ばせる。
向かうは、七瀬の部屋だ。
予想が正しければ……きっと俺にとって都合が悪い事を思案しているはずだ。