第9章 ヘイアン国
「なんで……まだ儀式には3日あるはず」
腰が抜けて、ぺたりとイナリはその場に座り込んだ。
大口を開けて海神はゆっくりと儀式の島に近づいてくる。アワジ島はちょうど海神がひと飲みにするのにちょうどいい大きさだった。
誰一人逃げられず、震える声でイナリは必死に神鎮めの祝詞を唱えた。その声は白々しく、どこまでも空虚に響くばかりで、海神はいささかも反応しなかった。
刀を捨てて、ローはのところに走った。あの夜、ハルピュイアにさらわれたにROOMは届かなかったが、今度は間に合った。
二度と離れることのないようにきつく抱きしめて、覚悟を決める。
「……大丈夫だよ」
海神に飲み込まれる直前、鎖のついた両手をローの背中に回して、はささやいた。
それが彼女の最後の言葉だった。
89.海神
「……君を待ってた。100年前からずっと」
気がつくとは不思議な場所にいた。
温かい海の中にいるみたいなのに、息は苦しくない。するりと身を寄せてくる生き物の感触はイルカに似ていた。
「……神様、小さくなっちゃったの?」
「ここは夢の中だからね。大きいと喋りにくいし」
触っていいよとばかりに、海神はに体を擦り寄せた。
「つるつるで気持ちいい。もこもこ派だったけど、イルカさんも素敵だね」
「でしょ」
機嫌よく海神はの周りをくるくる泳いだ。
「ここ、夢の中? じゃあ私、眠ってるの?」
「そうだよ。僕は半分実体がないんだ。夢食いの獣だからね。質量の半分は夢の世界に置いてるんだ」
きょとんとは首を傾げた。笑って海神は「難しい?」と尋ねる。
「キャプテンを呼んで。解説してもらうから」
「……残念だけど、それはできない。僕と話が出来るのは君だけ」
どうしてなのかは聞かなかった。ヘイアン国に来てからずっと誰かに話しかけられている気がしたし、イナリに毒を飲まされそうになったときにははっきりとした言葉が頭に響いた。
あれは海神の声だったと今ならわかるし、同時に自分以外の誰もこの声に反応してはいなかったから、話が出来るのは自分だけというのもすとんと納得できた。ただ少々、船長がいなくて心細い。
「どうして私にずっと話かけてたの……?」