第9章 ヘイアン国
付近には酒瓶がごろごろと転がっている。日増しに王へ近づく自分への祝杯で、最近は日中から酔いつぶれていることが多い。
押し倒して服を脱がせても衛士は抵抗しない。しかしキツネ面を剥ぎ取ろうとすると、イナリの手を掴んで彼は拒んだ。
「――何をしている」
楽しい睦み合いを止めたのは無粋な声だった。イナリを恐れて王宮には彼女の行為を咎める者はいない。
例外は一人だけだ。
「……大人の邪魔をするとは悪い子ねぇ、ブラッドリー」
苛立ちを隠しもせず、イナリは子供の姿をした蝋人形に嫌味を返した。
「お前がどんな遊びをしようとどうでもいいが、儀式を失敗させることは許さん。準備はどうした」
無機質な人形の口調にも怒りがにじんでいた。宴に参加しに来たわけではなそうだ。
緊迫する雰囲気を察して、黒いキツネ面の衛士は身を起こすと衣服を整えて下がった。
「準備なら抜かりなく進んでいるわよ。奴隷は人数分手配して、逃げられないように厳重に監視してる。何をそんなに不安がっているのよ」
「――王はどうした?」
痛いところを突かれてイナリは黙り込んだ。
「玉座に誰が座ろうと構わん。権力をどんな風に使おうとな。だがそれは、海神を従える王を俺によこしたらの話だ。お前が持ちかけてきた取引は海神を思うままにする力をくれてやるから、自分を玉座に座らせろというものだったはず。海神が手に入らないならこんな島に用はない。お前を玉座に座らせてやる理由もないぞ」
イナリの護衛をしていたはずの球体関節人形が、ザワザワと目を剥いて口や手指から幾本もの刃物を飛び出させた。イナリのそばに常に人形がいるのは護衛のためだけではない。
しくじった場合いつでも始末できるようにブラッドリーは共謀者を見張らせているのだ。
「……王の選定をするわ。国中の18歳以下の生娘を全員、人形を使って集めてちょうだい」
「いいだろう。それで王が見つかるならな。――反逆者共が人形を狙い始めた。工房の人員を加増する。手先の器用な職人を集めておけ」
黒いキツネ面の衛士が、黙って頭を下げる。
ブラッドリーが去ると、イナリはギリギリと爪を噛んだ。
「見てなさいよ。最後に笑うのは私よ」
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