第2章 痛がりな僕らと声なき恋(天童覚)
ドライヤー片手に大きなジャージを乾かす午後八時。全身ずぶ濡れになっていた彼をバスルームに押しこんで、私は、忘れじの日々に想いを馳せていた。
【白鳥沢学園】
忘れもしない。
私はこの名を知っている。知っていた。
因縁の相手だったのだ。
幾度となく、兵刃を交えた。
頂だけを見据える闘志の群衆。翼を鮮やかに翻らせて、──飛ぶ、その白黒の美しさ。忘れない。今でもこんなにはっきりと覚えてる。
忘れられない。
忘れたくない。
青春の、ひと欠片。
「……なつかしい」
覚のジャージをそ、と撫でてみる。
わけもなく、涙がこぼれて落ちた。
「──……朱花ちゃん?」
どうして泣いてるの。
そんな言葉を内包した覚の声が聞こえた。慌てて眦を拭って、笑顔を整える。
よく温まった?
脳内に用意された文字を声にしようとしたが、それは叶わなかった。手にしていたドライヤーがフローリングに真新しい傷をつくる。
逆さまになる、視界。
「……っ、さと、り、苦しい、よ」
「だって朱花ちゃんが泣いてるから」
下着しか身につけていない状態の覚に自由を奪われて、天井を仰ぐ。ふわとアロマの匂い。私とおなじシャンプーの匂い。髪を下ろしてる彼、はじめて見た。
「なんで泣いてたの?」
「……ノスタルジーによる涙腺の崩壊」
「ああ、加齢による涙腺の弱体化?」
「…………「や、ごめん、今のうそ」
バスルームから戻った彼は、先ほどより幾分かは元気になっているようだった。そのことに少しだけ安堵して、今度は私が問うてみる。
「外泊許可は、とってきたの?」
問いつつ、半月型のアイラインをなぞった。白くふっくらとした涙袋。赤く、腫れている。
ハロウィンを目前に控えた今日。その涙の理由は、問うまでもない。
驚いて面食らっている彼を腕のなかに収めて、お揃いの香りがする髪を撫でた。ぽん、ぽん。彼の鼓動に合わせるように。がんばったね。苦しかったね。悔しかったね。お疲れさま。
「……、……っ」
じわり
じわり
私の鎖骨あたりを濡らす熱。
ぎゅう、と抱きしめて。
同じだけのぎゅう、が返ってくる。
言葉なんて、必要なかった。