第7章 ふたつ 彌額爾(ミカエル)の語り ー人の望みの歓びよー
僕が踊ってる場合じゃない。エンゲルとリーリエこそ"クルンパコイス(木の靴)"を踊らなきゃいけないんじゃないか?
あれ、違う?
喧嘩したのはエンゲルとカールなんだから、エンゲルとカールが踊るべきなのか?…それは…面白そうだけどあんまり見たくない気がする。ちょっと違うよね?うん、違う。
ああ、馬鹿な真似しちゃったな。エルフィ(妖精)か何かじゃあるまいし、独りで踊り回るなんて恥ずかしい。
…雨垂れで良かったよ。みっともなく羽目を外しても誰にも見られないですむもんな。
すごすごとミカエルの背中に戻りかけた僕は、視線を感じて振り向いた。
びっくりした。
エンゲルと目が合った。物凄く間近で、こっちを見ている。
僕は息を呑み、片足を上げてミカエルに跨がりかけた間抜けな格好で凍り付いた。
鳩のミカエルを見てるんだと思う。きっとそうだ。イーリスの靴で気持ちが動いて、また手紙を書こうかと逡巡しているのかも。
僕は息を殺してそろそろと足を下ろした。
真っ直ぐ立って、エンゲルを正面から見返す。紺碧の瞳が僕を囚えた。何て色だろう。暗くて深くて、強くて、複雑な。まるで幾層もの水の厚みを湛えた海の底のようだ。
僕が行き着きたい海の底。僕の想像する静かな場所の、静かな色。
エンゲルが陰鬱な顔に僅かな笑みを浮かべた。薄い唇が微かに動く。音を伴わない声が目に映った。
Michael
体の真ん中から痺れがじんわり染み出して、頭や手足の先までビリビリした。ビリビリする。
鳩のミカエルから離れて、硝子の壁に手をついた。エンゲルの目が、僕を追う。
気のせいだ。分かってる。エンゲルは、僕を見てるんじゃない。水の中の雨垂れが誰の目に映るって言うんだ。
でも、だとしても僕はエンゲルの呼び掛けに応えずにいられなかった。
Ich gratuliere.Engel.(おめでとう、エンゲル)
こんな近くでエンゲルを見るのは初めてだ。
I wuensche Ihnen viel Glueck und alles Gute.
(幸せになっておくれよ)
硝子越しに、僕の手とエンゲルの伸ばした指先が触れた。
Gnade sei mit euch.(君たちに、神の恵みのあらん事を)