第7章 ふたつ 彌額爾(ミカエル)の語り ー人の望みの歓びよー
気候がますます熱を上げて来た。
カールはリーリエのところへ行ったきり顔を出さない。
ベアヒェンからは時折短い便りがあるようだ。飾り気のない手紙が読まれた端から捨てられる。
多分、カールとリーリエの事を伝えて来てくれているんだろう。
喉から手が出る思いで屑籠を見詰める。あれが読めたら何だってするのに。誰かの死に水になったっていいくらいだ。
エンゲルは嘆くのを止め、また淡々と日々を営み始めた。絵を描きに出かけ、思い出したように食事を摂り、祈りを捧げて眠りまた起きる。
ただ手紙を書く事だけがその営みからすっこり抜け落ちた。彼は手紙と一緒に二人のミカエルを忘れ去ってしまった。鳩のミカエルと、雨垂れのミカエルと。
ジュノークーゲルは埃を被り、僕らの視界は日を追うごとに曇りくすんでいった。
鈍い景色の中でそれでなくとも夏に弱いエンゲルがどんどん痩せ細っていく。僕は叫び出したい気持ちでいっぱいだった。
誰かこのエンゲルを助けてやってくれ。辛いばかりなのに変わりなく繰り返される毎日に変化をくれ。
僕の祈りは届かない。届かない祈りは身が捩れるほどもどかしく、焦げるように腹立たしかった。
こんな思いをしてまで何故皆祈る?
教会の静謐な空気を思い出しながら僕は身を削って涙を流した。あの静かな場所で無邪気な疑問に囚われていた僕は何て幸せだったんだろう。
神は何処に居る?
僕はここに居るんだ。気付いてくれ。顧みてくれ。助けてくれ。苦しい。
だけどエンゲルはもっと苦しい。きっと、ずっと苦しんでる。
楽しげな手紙をリーリエに贈り、カールの冗談に笑い、叶うかどうかわからない祈りに身を捧げながら、ここに来るまで苦しみを独り呑み込んできた事を思えば、神経質な手で黙々と寂しげな絵を描き続ける青白い顔をしたエンゲルという男が屈強なものに見える。
ひょろひょろで手足ばかり長いマリオネットみたいなエンゲル。でも僕はその強さを知ってしまった。それが僕の吐く弱音に歯止めをかける。
忍耐と愛情、思いやり、周りに苦しみを見せない自制心、激しい自責の念は責任感の現れだ。
エンゲルは父性を兼ねた強さを持っている。
愛している。
愛されたいと思う以上に愛している。リーリエを、天使を、カールを。絵を描く事、静けさに身を置く事、考え耽る事、雪の森に分け入る事、祈る事。我が身に恵まれた全ての為に祈る事。