第7章 ふたつ 彌額爾(ミカエル)の語り ー人の望みの歓びよー
「いいだろう。ドアに鍵はかけていない。入れ」
人のやりとりは飽きる事がない。
僕達雨垂れは見た事、聞いた事を伝えるしかない。自分で何かを体験したり、何かを産み出すやりとりは出来ないから、こういうのは胸が踊る。
どんなものを作るんだろう。何を話すんだろう。デン·ハーグってどんなところだ?服を着替えたあの男はどんな風になって出て来るかな。
綺麗な硝子玉だった。あれはどう作るんだろう。何で硝子の中に水があるのかな。あの水は何なんだろう。
ワクワクした。
僕には知らないものが沢山ある。そして僕は知りたがり屋だ。
これは僕の生まれが多大に影響している気がする。
僕は遠く独逸(ドイツ)は徳勤斯達(ドレスデン)の聖母教会の聖水から産まれた。名も知らぬ赤ん坊の洗礼の聖餅を濡らす穢れない滴。
沢山の説教を聞きながらその答えを思案する静かな物思いの時を過ごし、ひとりの人生を祝福して跳ね返り、教会を飛び出した。
僕の染み付いた赤ん坊の祝いの衣裳が、青いように真っ白だった事を今も鮮明に思い出す。襟元に埋まった耳朶に、ふたつの黒子。可愛い赤ん坊だった。
この子はこれからどんな生き方をして行くんだろう。
神はこの子にどんなご加護を与えるんだろう。
この子の親は愛し子の為にどんな未来を祈ったのか。望んだのか。
そしてそれは、叶うのか?
神とは何だ?遍く世を統べる偉大な者であるというならば、僕達でさえも彼に祝福されているのだろうか。
何故人は、安らかに祈る?苦しげに祈る?満ち足りたように、切ないように、融通無碍に祈るんだ?
祈りがひとつではないように答えもひとつではない?祈りって何だ?幸せの形?生きる希望?
神の加護とはどんなものだ?
僕にもそれは降り注ぐのか?
誰しも祈りに救われるのか?
それが例え叶わなくても?
祈りってなんだ?神は何者だ?
人は何故祈る?
神は何を救う?
カールは膝に穴の空いたズボンを履いて肘の抜けた上着を羽織り、煤けた様な格好で口笛を吹きながら老職人の家を出て行った。老職人は窓辺の作業場で白い小さな鳩を彫り始め、その手元に見惚れた僕は雨樋から滴って、風に煽られて蒸留水という誰もいない水の中に落ちた。
これがシュノークーゲルに注がれる水だった。