第7章 ふたつ 彌額爾(ミカエル)の語り ー人の望みの歓びよー
リーリエ。
驚いたよ。私の絵が三枚も売れた。嬉しい驚きだ。
君が好きだと言ってくれた私の絵は誰かの温かい部屋を飾るには寂し過ぎる気がするけれど、それでも何かの慰めや励みになるのならばこんなに嬉しい事はない。
もっと陽気な絵を描けば今よりずっと金持ちになれるとカールは言うけどね。画商の彼にしてみれば当然の忠告だ。
しかしリーリエ、寂しさも幸せのうちと気付けたらば、生きる事はより輝かしくならないかな?
何か欠けているのは悪い事じゃない。人は欠けた部分を何かで埋めようと努力せずにいられないもので、その努力は思いがけない幸せを運んで来るものだからね。
そう、私と君の耳、そして出会いの様に。
僕は今奇跡の中にいる。
怖いくらいだ。
Zeigen Sie mir ein Lächeln.Lilie.(笑っておくれ、リーリエ)
エンゲル。
絵と手紙を書くとき、エンゲルはとても幸せそうに見える。青白く整った顔に微笑を浮かべながら、悪戯するようにリーリエに文字で語る。カンバスに独り言する。
疲れてその手を休めるとき、エンゲルはシュノークーゲルをその深く青い目の前に翳す。
険しく落ち窪んだ瞳は不思議に黒味がかった緑色を纏って、青を更に深みへ落とし込むような色合いを見せる。
暗い目だ。深く暗い色だ。険しく、けれど穏やかでどこまでも静かな不可解な目。
僕はそれに憧れる。
海の底を流れる河は、こんな色をしているんじゃないのか?
だとすれば、僕はやっぱり海を目指さないで居られない。
エンゲル、君は海の底を知っているのか?
リーリエはエンゲルの目に、僕のように魅せられたんだろうか。
厚い硝子に白い鳩、舞い散る雪を模す紙吹雪の中で僕は微睡むようにエンゲルの筆跡を追う。
Niedlich,Lilie.(可愛いリーリエ)
君もエンゲルの目に海を見る?エンゲルの瞳に映る君の瞳はどんな色だろう。
やっぱり空の色なんだろうか。