第6章 ひとつ 吉太郎の語り ー焦げ白銀(しろがね)という雨垂れー
俺ァぼちぼち屋移りする気だった。
じめつく深川ァ嫌ェじゃねェが、カラッと神田や日本橋、何なら千代田様ンお堀で(江戸城の堀)のんびり出来りゃアと思ってた矢先でよ。
したが仕様もねェ。何せ下手ァ打ったなァ俺だからなぁ…。
例い焦ゲんボンクラが傍で醜女ィ(醜女に)みっとも悪く見惚れてても、堪えにゃなるめェよ。
…腹ァ煮えんわな(腹立つわ)
おひろァ家にゃ帰らなかった。そらそうだ。抱非人なら兎も角、野非人に家なんざあるわきゃねえ。
橋ン下に桶ェ持ち込んで、ちっとばかしの…家財道具てェのかね。そう呼ばわるのも憚りィあるような粗末で小汚えモンの間に座り込んで、ヤツァ桶ン手ェ突っ込んで来やがった。
「つべたい(冷たい)」
ギュッと鼻ィ皺ァ寄せてひろが笑う。力ン抜けた優しい顔ォしやがる。
痩せた顔にでっかい垂れ目がツルっと潤んで、餓鬼くせェが馬鹿にうっつく(美しく)見えた。
女てなァ適さか(希に)不思議だ。いきなり女振りが十の内十二上がるときがある。笑った醜女が別嬪に化けやがる。白粉なんざ叩かねェでも、こっちゃアとーんと来かねねえ。(好きになりかねない)
傾城(とっときの美女)が唸る吉原で、後朝(朝の別れを惜しんで交されるやり取り)を濡らす朝露に成った事もある俺さえフワンとしかけちまったくれェだ。ボンクラの焦ゲんヤツァ言わずもがな。
ええ、呆けてんじゃねェやィ!だらしのねェ!
ほ、呆けてなぞあらんのし。
言い合いかけた最中、また桶に突っ込まれた手の荒れた肌ィ体をざららと撫でられた。
うへ。ええ、クソ、逃げそくなっちまったい。(逃げ損なった)
人や物ィ悪戯に触られんなァ頂けねェ。何処ィ振り飛ばされるか知れたモンじゃねェし、ペロッと舐められでもすりゃアこちとらお陀仏だ。
早ェとこ滴らにゃア、こらマズい。どうも今日はしくじりン目が出る日だ。焦ゲェ引っ張って桶ィ戻ろうとして、俺も焦ゲもフと気が付いた。
おひろンヤツァ手をぶら下げたまんまじっとしてる。
水ン垂れるのを黙って見たまンま、じっとしてやがる。
……何の真似だィな?
水の垂れるを待っとるのし。違うか?
何だそら。阿呆くせェ。
阿呆くさぁ事あらん。助かるではないか。
ノロくせェ女(アマ)じゃねェか、ええ?
気の遣うてあるのや。
何言ってやがんでィ。雨垂れなんぞに気ィ遣うヤツァいやしねェよ。