第4章 弥太郎河童
もう逃げるこたねえよ。筋ァ通して来たからよ。
……。
荒れ凪のところから有無を言わせず連れ戻され、おとの守りを押し付けられた路六は、明時近くに戻ってきた弥太郎の姿にぴんぴん跳ねた眉をしおしおさせて目を伏せた。
両の手から、ぽたぽたと血が滴っている。
皿から、水がだりだりと顔に垂れている。
悪ィんだがな、ちっとばかり頼まれてくれねぇか?俺ン塒からよ、膏薬を取って来て欲しんだよ。
すっぱりいかれちまってよ、今潜んのは難儀でよ。
広げて見せた細長くて水掻きの張る両手は、親指を欠いて四つ指になっていた。
路六は枯れ草に埋もれて寝息を立てる童子をそっと見やり、静かに立ち上がった。
鎌鼬の妙薬を塗ってやらァ。高くつくぞ。当分酒はお前持ちだ。
土壁の穴をごそごそ探って大獺は苦笑いした。
無理ンとこに行ったんだな。どんな筋が通ったんだ、え?間抜け?
うーん?さぁなあ。…うまく言えねえや…
童子の側にひっそりと腰をおろして、弥太郎は顔にかかる水をぐいぐいと肘で拭った。
まあな、俺も馬鹿だったよ。そらわかった。
おお何だ、やっとこ気付いたかよ。遅ぇ遅ぇ、迷惑なこった。
鎌鼬の妙薬は塗る端から肌に吸われて傷を塞ぎ、痕には親指の名残、つるんとした小さな突起が僅かに残った。
おい、皿を見せてみろ。割れてんじゃねぇか?
路六に言われて弥太郎は笑った。
うん。思い切りはたかれた。目の玉が落ちるかと思ったぜ?アイツめ、小柄の鞘で殴りやがってよ。まあな、斟酌ねえのが後腐れ無くていいよ、無理は。
合せ貝に詰まった膏薬をたっぷり指で掬いとって、路六は小刻みに頷いた。
誰にでもいいとこはあらァな。俺も無理を嫌いじゃねえよ、お前を嫌いじゃねえようになぁ。
ケ。俺ァお前らなんか大嫌いだ。
そうかそうか。構やしねえよ。嫌われたくなくて嫌いじゃねえって言ってんじゃねえからな、こっちもよ。
皿のおっきなヒビは、鎌鼬の膏薬を全部吸ってやっと塞がった。
三つ約束した。無理はあんなヤツだが約束は破らねえ。
枯れ草にごそごそ潜り込んで、弥太郎はもそもそ言った。童子の小さな頭を腕に載っけて抱え込み、深い息を吐く。
朝にゃコイツは里に帰る。間抜けた俺は、食い損ねの指っ欠けになっちまったよ。荒れ凪も笑うだろうなぁ。ははは。
…お前の指の数なんざ、ハナから誰も数えちゃいねえよ。