第3章 仰げば尊し
水飲み場のそばの細長い花壇で、サルビアが真っ赤だ。花の終わった百日紅がその上に濃い影を落としてる。
校舎裏に咲いてる金木犀がここまで匂って、秋の風が吹いてるのがわかった。
正面玄関で合唱部の女子が準備運動してる。
肺活を鍛えるとかで、アイツらは毎日ランニングする。腹の立つことに、オレたち野球部を追い抜いてくくらい足が速い。
走ってないで歌えよ、もう。
文香がいる。隣の席の女子。音楽が得意で逆上がりが出来なくて、それ以外は全部普通のタレ目の大人しいヤツ。
あ、こっち見た。
あっちのオレじゃなくて、こっちのオレを見た。
思わず手を振ったら、腰の辺りでこっそり手を振り返して校舎裏に見えなくなる。
···うん。まあ夢だかんな。
だってオレ、校門とこの電柱の天辺にいんだぞ?あとほら、どう見たってあっちに普通のオレがいるしさ。
また金木犀の風が吹いて、音楽室からピアノの音が聴こえて来た。
仰げば尊し。
来月いきなり廃校ってことになっちゃったから、季節外れの卒業式をするんだ。
オレたち六年だけじゃなく、どの生徒もどの先生も、昔学校に通ってたじいさんばあさんやおっちゃんおばちゃん、にいちゃんねえちゃん、皆みんなで、この学校を卒業すんだって。
お別れ会って素直に言えばいいのにな。
音楽の奥山先生がその式のために練習してんだろう。
···ところで仰げば尊しって、どういう意味?
「敏!敏!!起きて食べな!片付かないでしょ⁉」
ユサユサ揺すられて夢が覚めた。この手荒さは母ちゃんだ。
「お粥!食べれるなら食べちゃいな!食べて寝て治す!ホラホラ、まずこれ呑んで!」
無理矢理押し付けられた冷たい小瓶を無意識に口に当てて呑んだら、オロナミンCだった。
「ぶわッ⁉ばッ、なッ、炭酸ンン⁉げッ、げほ···ッ」
思ってもみない弾ける刺激に咳が出てバッチリ目が覚めた。
「なッ、何でこのうちは病人にオロCなんだよ!ポカリかアクエリだろッ、普通⁉」
「ビタミン摂りなよ。治るから」
「ビタミンどこじゃないって!今炭酸はダメだって!肺炎で入院したじいちゃんにも箱ごと持ってって看護師の人に怒られたろ!忘れたのかよ⁉あれからじいちゃんなんかオロCンこと毒水って呼んでんだぞ⁉すっかりヤクルト派になっちまったんだかんな⁉こりろよ母ちゃん···げほげっほッ!」