第11章 斎児ーいわいこー
山の匂いが濃い。濃くて咽返る。色んな音がする。あっちから、こっちから。周り中混み合った木や蔦や草で、決して明るくはないのに不思議に澄んだ光が充ちているような、不思議な眺め。木々の頭の上に覗く、高い空。黒い雲の足が速い。雨が降りそうだ。
「…綺麗だぁ…」
前を歩くヒョロリと長い後ろ姿に語りかけたら、即座に舌打ちが返って来た。その返しの早さが可笑しくて笑ってしまう。
「何がキレイだって?そこらにぬたぬたしてる狸や狐の糞かか?それとも熊公の抜け毛のこびりついたガサガサの木の幹のことかよ?ばぁかか、おめえは!おい!笑ってんじゃねぇぞ!」
振り向いた顔は真緑で、犬のように鼻面が長い上に平たい嘴がついていて、団栗眼は黒目ばかり。こういう相手を間近に見たなら本当は怖がるものなのだろうなと思いながら、何故かほっとしてしまうのは自分もまた異形だという思いがあるから。
顔の傷の、つるんと引き攣れた痕を撫でてまた笑うと、緑の顔が呆れて歪んだ。
「何で笑うんだよ。おかしな女だな」
そうよ。私はおかしいの。
誰もが言い淀むことを面と向かって言われて、むしろ気分が良い。
そう、そうよ。私はきっとおかしい女なの。他の人がどんな風かなんてあまり知らないし、そういう人たちと自分がどれくらい違うかもわかりゃしない。多分思う以上に世間知らずで、見た目も中身も尋常じゃないんだろう。でもそういう自分が嫌じゃない。嫌じゃなくなった。
ああ、もう、何て、何て心任せなんだろう!体が軽々して、気持ちが広々して、あんまり気安くてすぐ笑ってしまう。愉快で堪らない。
だって私は今、窮屈だった何もかもを置いて、好きな男を追ってるのだから。
好きな男を、追ってるの!
ただ好きだから、それだけのことで!
私にこんなことが出来るなんて、思いもしなかった。
心任せな今が心地よくて背中に羽が生えたように良い心持ちだけれど、この河童らしい人外にすれば、羽は背中ではなく頭に生えているようにしか見えないだろう。そう思うとまた矢鱈に愉快になって、喉の奥がぎゅっと鳴る。
「…だから何で笑うんだよ。いっそおっかねぇぞ、おめぇ」
河童がない眉の根を寄せて、腰から上を後ろに引いた。ひっくり返りそうな格好でこっちを見る不思議な目を見返して、私は声を立てて笑った。
アハハ!
河童がおっかないって!私を!
面白い!