第11章 斎児ーいわいこー
朝の読経の後、仏飯の支度の為下がりかけた私を、呼び止めるでもなく通りすがりにぽつんと呟いた住職は、心なし笑っているように見えた。いつも穏やかな顔をされているが、訳もなく笑われる方ではないので少し驚いたのを覚えている。
うっすらと思うところがあって、その日それとなく住職の身近くお勤めをし、更けて山門の傍らに佇んでいた私は夜半参道を来る小柄な人影を認めた。節さんだった。
その夜の送りから始まって、節さんの行き来には余さず私が同道した。住職に無理をさせるとわかっていても、十余年の苦しみは容易に吐き切れるものではないらしく、節さんは七日に一度、多ければ二度、寺を訪っては小半時程も住職と話し込む。
「節さんは父親が誰か知っていたし、母親が何をしたかわかっていた」
しんどい話だ。
それを節さんに知らしめたのは他でもない、節さんのふた親だった。
ひどい話だ。
「節さんのあの火傷」
顔を覆う赤い傷跡。
「あれは徳次郎さんに囲炉裏に押されて負った傷で」
両親は喧嘩をしていた。
娘の目の前で、言い争いをしていた。
娘の出自について口穢く母親を罵る父親と、非を認めて力なく項垂れながら、しかし時折きっと父親を見据えて言葉を返す母親。
ああ、言い返してはますます怒らせてしまう。いけない。
案の定いよいよ激昂した父親が手を振り上げた。姿形に見合わぬがっちりと力強い手。
ぼんやりと両親を見比べていた娘が、はっとして二人の間に割って入る。父親の手が娘の小さな体を薙ぎ払った。
赤い丈の短い着物を来た切下げ髪の、利かん気そうな女童が真っ黒な目を見開いて突き飛ばした父親を不思議そうに見詰めながら、頭から、頭の右側から炉の火に突っ込んでいく。母親が声にならない悲鳴を上げて溺れた者のように両手をわらわらと動かしているのが怖いようだ。
父親は蜘蛛の巣に溜まった水玉のような、色のない目でそれを見ていた。皆無くしたと、何も持たないのだと諦めた褪せた目だった。悲しい目だと思った。途方もなく孤独な目だと思った。
徳次郎さんから怒りも悲しみが感じられないのが尚悲しかった。
ほんの一時に怒りや悲しみを遥かに上回る虚しさに囲われてしまったのがわかったから。
でも。