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第11章 斎児ーいわいこー



路六は鍋の蓋を取ってふっと笑った。立ち上る湯気をくんくんと嗅いで納得したように頷き、また蓋をする。それからちょっと姿勢を正してこっちに向き直った。小さな目が囲炉裏の火を受けてチカリと光る。目が背けられなくて、私は生唾を飲んだ。聞き辛いことをまた言われると思ったから。

「だから俺らが俺らを安く見て手前を雑に扱うと無理は怒る。何故ならそれで無理が傷付くことになっちまうからだ」

わかるか、と、いうように、路六は首を傾げた。

…わかるとも…。

節の強い眼差しや住職の穏やかな物言い、秋光の困ったような八の字の眉、随分遠くなってしまったが、父や母、家族の泣き出しそうな顔、怒った顔。
それらがいっぺんに頭の中に雪崩込んできて、目が眩んだ。
そういうことだろう?

「手前を大事にしろってのはそのまんまのことだけじゃねえ。そういうことだ」

路六は今までになく強い調子で言って、鍋を火から下ろした。

「…私は…私はそういうつもりは…。そんなつもりは…」

「楽に逃げるんじゃねえぞ、厂暁」

路六が口をへの字に曲げ、やおら立ち上ってぺたぺたと炉端を回り込んで私の横に屈み込む。

「くよくよしねえでしゃんと胸張って顔上げて周りをよく見てみろ。そしたらどうやら今は五里霧中のおめえの見通しも、うんとこさよくなるだろうと思うぜ、俺は」

路六は目を細めてにんまり笑った。

「ごちゃごちゃすんのを止めたらすとんと色々見えてくら。ついでにすぱっと俺の頼み事もきいてくれりゃ言うことなしだ」

「それは無理だ。サクの身の上を左右するような大事に関わるような真似は出来ない」

頑なに首を振る自分に何ともいえない心持ちになる。こう熱心に乞われれば、以前の私ならうかうかと引き受けただろうと思う。痛い目を見て軽はずみに振る舞うのは懲りたということか。
いや、それより。
サクを里へ連れ出す労力を使うくらいならいっそ節さんを迎えに行きたい。

今の私には叶わないことだけれども。

「まあそう思い詰めんな。ゆっくり考えてくれりゃいいからよ」

ひとつもわかっていない様子の路六がにこにこ笑う。

「で?話せよ。先を。聞かせてみな。ちょいと急いでな。皆まで聞けるかわからねえから」

また仔細ありげに急き立てる賂六に苦笑いが漏れる。苦笑いは苦笑いだが、我ながら温かい苦笑いだ。

この大獺が、好きなのだ。私は。
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