第2章 並
「畜生腹···」
呟いた並を彦左が心配そうに見た。十市は彦左に頓着なくただ並だけを相手に話し続ける。
「彦左の櫛と一緒に持ってくるかと思うたのだが、置いて来るとはな。舌先三寸で取り上げる気が、企みの狂うた」
「あんなゴツゴツした岩みたような見苦しいもんは要らん。だったらかかさまの鮑玉を持ち出すわえな」
「欲の深い。あれが幾らすると思うている。流石にありゃ手出しならんぞ。持ち出さんで良かったな」
「値は知らんがかかさまの宝に手を出す気にゃならん。十市、お前、まっこと川の男と所帯を持つ気か?」
「わしの話ゃもういい。珊瑚を渡すか渡さぬか」
「だって十市よ。彦左はどうするんじゃ?」
「どうもせん。彦左が何だと言うのだ」
目をすがめた十市に並は拳を握り締める。
「ただの相手に舟など造るものか!!お前、彦左を弄ぶか⁉」
「舟などお前にくれてやる。わしの嫁入りにはあの珊瑚があれば後は何も要らんのだ」
あっさりと十市は話の腰を折った。
「大事なものだけ持って行く。お前の様に」
「そんな話はどうでもいい。彦左が···」
「俺は何ともない。並、勘違いするな。俺と十市は、それ、その···そういった仲じゃありゃせんのだ」
彦左が言った途端、ザザと初めて海の音が耳に入った。今までもずっと波は鳴っていたのだろうが、並の耳にはそれが届いていなかった。
彦左と十市の仲が、彦左の十市への気持ちが自分への気持ちが、気になって気になって頭がぱんぱんに膨れていたから。
そう言えば今日は海に潜ってもいない。泳いでもいない。そうしようとする気が、すっこり抜け落ちていた。
「今が今は無理じゃがな。嬶にするならお前と思うてはいるから、他所の女と浮かれたりはせんよ」
こんな彦左の言葉が嬉しいなんておかしい。
「お前がな、海を好きで堪らんのは知っとるよ。俺が山を好きで堪らんのと同じじゃ。俺なら待てるから、慌てて山に来んでもいいんだえ」
彦左なぞ好きでも何ともない。でも、彦左はあっしを好いとらんといかん。彦左はあっしを可愛がらねばならん。絶対に。
ずっとそれが当たり前じゃと思っておった。
あっしが好き勝手しても彦左はあっしを許さにゃならん。
あっしが何処へ逃げ出したって彦左はきっと迎えに来る。
だってそうじゃろ?
あっしは彦左の嬶になるんじゃもの。