第2章 並
明時、十市は並のかかさまから珊瑚を受け取って里を去った。
「あの舟、ありゃお前の櫛の払いだ。地の白檀は目の玉が出る程高い。螺鈿も然りよ。それを支度してやったのがわし、代わりに舟を造って貰った。まぁ、あの舟とお前の櫛は対のようなものゆえ、お前が双方持つのが納まりいいだろう」
珊瑚を腰の籠に仕舞って、十市は最後に並の掌へ祝いの品を落とした。
とろりと光る愛らしい小粒の紅玉。
「わかるか?これが珊瑚だ。お前らの祝言へ、祝いの先渡しという事にしておく。健やかでな、並」
十市を見たのはこれが最後。忌み人は忌を断ち切って捨て、並の知らぬ土地で人となった。
彦左は前より繁く海に下りるようになった。
あれからまた新しい舟を造り、更に潜りを覚えようとしている。
磯の小魚を素手で獲る事を試し、風と潮の話に耳を傾ける。
並もまた、山へ行く数を増やした。
山に生える草木の名を覚え、その食べ方使い方貯め方を知り、何と木に登る楽しみに目覚めた。山のととさまを手伝って、一丁前に枝打ちの真似事などして跳ね返りに磨きをかけている。
木の幹に腰を下ろし、遥かに臨む海を眺めながら木立と土の香りに鼻を鳴らす。
三番はしんしんと雪の降り積もる冬の杉木立。白い綿帽子を被った深緑の杉のピリッとした立ち姿。
二番は風吹き渡る沢の苔の瑞々しいあの色と香り。僅かに潮を感じさせる懐かしい香りに気が安まる。
一番は遠くを臨む高み。海が見えて山が見えて、もしかしてここには全て在るんじゃないかと思えるほど胸が膨らむ。
珊瑚玉の簪が光る括り髪を風に嬲らせて、並は満足げに笑う。
傍らには彦左がいる。
海と山を行き来する暮らしを並は殊の外好んだ。
山へ嫁げばまた変わるかも知れない営み。
それが何じゃ?
ここにはどうやらあっしの好きなもんが沢山ある。大事なもんも増えそうじゃ。それを探しながら暮らすのも悪うない。
違うか?
あっしは満足じゃぜ。