• テキストサイズ

楽天地

第11章 斎児ーいわいこー



「慌て者め。祠を損なったら弥太郎に打(ぶ)ちのめされるぞ」

涼やかな乳香がふっと揺蕩い、薫りの主が身動ぎしたことを告げる。

「社や祠の修繕は奴の役回りになっている。要らぬ手間を増やしたとさぞ恨まれようよ」

答えようと思うのだが、舐めるように眺め回されているのがありありとわかって乾いた口が開かない。

「顔を上げよ」

些か厳しく言い付けられてほんの少し顔をもたげ、恐る恐る目線を上げる。

紅い目と、目が合った。息を呑んでまた俯く。

「誰が下を向けと言うた?顔を上げよ」

叱責されて仕方なく顔を上げた。白絹の衣をゆったり纏った端正な顔立ちの男が足を崩して気怠げに脇息にもたれ掛かっているのが目に入った。なるべく顔は見ないようにする。先程見た紅い目が怖かった。

「ふん?惰弱な生臭と聞いたが、なかなか見れる面構えをしている。破戒も宜(むべ)なるかな」

褒められたらしい。意外さに視線が動いた。そこを紅い目に捕らわれる。

「サクに案内(あない)させて山を越えると聞いた。何の為だ」

すっと切れ上がった目は一度捕まると何時までも見ていたい程幽暗で麗しい。麗しいが、冷たくて熱を感じさせない。それが恐ろしい。恐ろしいのに目が離せない。それなのに、何故か不思議と厭忌の情は湧かない。
蛇に睨まれた蛙はこんな心境なのだろうかと他人事のように考える。意外に不快ではない。恐ろしさも紗(しゃ)の向こう側の景色のように霞んで心を脅かす程でなく、むしろ不思議な心地よさがある。
ぼうっと目を合わせたまま黙りこくっていたら、無理は薄い唇で二日月のような笑みを作った。

「金か?女か?それとも人を殺めたか?」

言いながらサクよりまだ白い、青いような手を伸ばして来る。ひゃっと首を竦めて目を閉じたら、呆れ声がした。

「とんだ屁垂れよな。よくそれで僧籍に身をおいたものよ」

大事に抱えていた吸筒をもぎ取られる。

「手土産も渡さず立ったままこの無理と話すつもりか。痴れ者め」

最もだ。しかしこの小さな祠で二人も座れるものか。どうする。表に戻って平伏するか。

「周りをよく見よ」

吸筒でごつんと頭を突かれて見回すと、そこは広々と塵ひとつない板敷きの広間だった。薄暗い広間の仕切りに飾り気のない御簾(みす)が、初夏(はつなつ)の風に吹かれて微かに揺れている。

/ 296ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp