第2章 並
庭の茂みから一日かけて作った荷を引っ張り出して肩に担ぎ、兄たちのお下がりの銛を握りしめると、並は磯に向かって一心に駆けた。
何故走るんじゃ。まだ刻限を切っちゃおらんのに。
賑やかな声が遠く小さくなる。濡れた頬ぺたが走る風に吹かれてひりひりした。近付く程に黒い海が、どんどん目の中で膨れ上がって空も見えない。
「よう。早かったな」
肩で息をしながら磯に着いた並を、岩場に腰掛けて煙管を燻らせた十市が迎えた。小さな焚き火が辺りに小さく明るい黃橙の輪を描いている。
「来ぬかと思ったが」
睨み付けてくる並を面白そうに見返して、フッと煙を吐く。矢張り小面憎い。
「潮が変わる前に行って帰って来られればわしとしちゃ助かる。···おい、随分荷が小さいな。何を持たぬで来た?」
何を持って来たかではなく、何を持たぬで来たかと聞くのが如何にも十市のようで、並は不覚にもちょっと笑ってしまった。このひねくれ者め。
「色々置いて来た」
「そりゃいい心掛けだが、随分心細い事だな。···待て。お前、神領地で魚を突く気か」
銛を眺めて十市が苦笑する。
「神領地は本来立ち入る事もならぬのが建て前の神域だぞ?そこで殺生しようというのか」
並は目を瞬かせた。そこまで考えなんだ。
「食わねば生きて行けん。魚を食わずに何を食えばいいんじゃ?」
「草を食え。海にも山にも食える草がたんとある。お前らが磯で採る海苔や若芽とて海の草だわ。そう思えばさしたる事でもなかろうよ。生臭物は諦めろ」
「···そうか。けど銛は置いていけん。こらあにさまたちから貰った大事なもんじゃから」
「ならばせめて刃は覆い隠すのだな」
「わかった」
「そのはみ出た塊はまさかに敷き栲か?」
「頭が痛うては寝られんじゃろが。髪も汚れる」
十市はほとほと呆れた様子で並を見やった。
「他には何があるんだ?」
「火口と火打ち石」
「ほう。お前にしちゃ上出来だ」
「飴」
「飴?」
眉を上げる十市にお構いなしで、並はその切れ長の目をじっと見ながら続けた。
「後は彦左に貰った櫛じゃ」
「···成る程」
「大事なもんだけ持って来た」
煙に煽られた十市の目が細くなる。
「お前の大事なものはそれで全部か」
並は首を振った。
「全部は持ち切れん」
「ふん?まぁそりゃそうだな」