第10章 丘を越えて行こうよ
もの問い顔で一也を見上げたら、一也は指を口にあててまた笑った。
「内緒話だろ、ここは」
敏樹の耳元に手を添え、子供みたいに背伸びしてひそひそ話する加奈子さんの姿が、見なくても見えた気がした。
「……………」
間が長い。
何してんだ、敏樹。早く答えろ。顛末を見届けるまで気を失うに失えないじゃないの、バカ。会場の皆さんも息を詰め疲れてブーイングし始めるぞ。
額にのったままの一也の手がひんやり冷たくて気持ちいい。乾いてカサカサした、大きな手。言いたかないけど……安心する。もうずっと、こんな風に安心したことがなかった気がする。一人暮らししていたときも、結婚してたときも、実家に帰って来てからも、ずっと。ずっと。
なのに何でかな。鼻たらしの弱虫の、あの一也から安心を貰うなんて、変なの。不思議。一也のくせに生意気な……。
力の入らない手が、思わず知らずちょっと持ち上がる。
「何で黙ってたんだよ!」
敏樹の声に我に返る。あ、あっぶな!あぶな!今アタシってば一也の顔に触るとこだった!何やってんの、アタシ!軽く痴女じゃん!か、一也相手に!?バカバカバカバカ!
「…迷惑がられたら、どうするか、気持ちを決めてから言いたかったから」
思いがけない加奈子さんの答えに、胸がチクッとした。加奈子さん、物凄く悩んでたんだ。なのにアタシってば、どうでもいいことでウジウジうじうじ僻んだりして、情けない。
ごめん加奈子さん!一也……は、まあいいか。誤解されるような態度をとったヤツが悪い。そうだ、みんな一也が悪い。うん。
「でも、もういいの。どっちにしても、私頑張るから」
加奈子さんの健気なこと。
「どっちにしてもって何だ!どっちもこっちもねんだよ!」
敏樹のバカヤローなこと!一発殴ってやるべきだと身動ぎしたら、一也のおでこにのっかった手に力が入った。ちッ。
「…ごめんなさい」
謝ることないよ、加奈子さん!
「結婚して下さい!」
黙れ、バカ敏……お、おお?
ワッと会場が沸いた。誰からともなく拍手が湧いて、おめでとうの声が大向うみたいにあちこちから飛んで来る。
「公開処刑だな」
すぐ側から聞こえてきた皮肉な声は加美山のもの。
いつの間にか、コイツもステージに上がって来てたらしい。一応心配してくれたのかな。多分そうだろう。そういうことにしといてやろう。
「御愁傷様」