第10章 丘を越えて行こうよ
結婚したと聞いたときは、やっぱり詩音と手を繋ぐのは自分ではなかったのだなとぼんやり思った。詩音は泣き顔を見せられる相手を見付けたのだ。キツいことを言いながら、弱味を見せられる相手を。いいことだと思った。強がりの詩音を支えられる誰かがいてくれて、詩音が寂しがったり悲しがったりしていないと思えば、何となく安心した。
でも。
一也は缶ビールを、ひ弱な体に不釣り合いに大きな手の中でぐっと握り締めた。
今は違う。
何度か見かけはしたものの、何処の誰だかわからない詩音の夫はもう詩音の側にいない。
詩音の手は空いている。
…空いてる…けど。
だから?
何考えてるんだか。しぃちゃんにとったら俺は全然そういうんじゃないし……大体何をどうしていいのかさっぱりわかってないのに、何をどうしようっていうんだ?…我ながら訳がわからないな…。
「早く呑んじまわねぇと温くなっぞ、ビール」
いきなり背中をどやされた。堪らずよろめいて転けかけたら、力強い手が腕をがっしり掴んで引き戻してくれた。
誰の仕業か、見ないでもわかる。
「危ないから押すなって。ー今日は無理言って悪かったよ、敏樹」
とられた腕をやんわりほどき、一也は加美山のビールを男前の従兄弟に手渡した。
「無理でも何でもねぇよ。楽しいもんよ、コレ」
屈託なくビールを開けて中身を煽り、あっけらかんと答える敏樹に一也はくしゃっと笑った。
身贔屓ではなく、敏樹がモテるのはよくわかる。敏樹の側は居心地がいい。だから男も女も敏樹の回りに集まって来るのだろう。
「お前こそお疲れ。何か色々忙しかったんだろ?あ、今も忙しいのか。こんなとこでビール持ってウロウロしてていいのか?」
「ビールは加美山から差し入れだよ」
本当は詩音への差し入れだが、まあいいんだ。ビールも収まるところに収まって満足だろう。
「加美山からぁ?」
敏樹が首をかしげた。
「毒なんか入ってないだろうな」
一也は吹き出しかけた笑いを呑み込んで、鹿爪らしい顔をした。
「呑むだけ呑んでそりゃないだろ。加美山に悪いぞ」
「頂けるものは頂くよ。据え膳食わぬは男の恥って言うだろ?」
「…なるほど。お前がそんなだから…」
加奈ちゃんが不安になるんだな。
一也は眉を顰めて口を噤んだ。
そんな一也に敏樹も何か言いかけて口を噤む。