第10章 丘を越えて行こうよ
一也が最初に加奈子から相談を受けたのは、詩音の離婚話が噂に疎い一也の耳にもやっと届いたひと月前だ。その頃には既に詩音が実家に戻ることも決まっており、珍しくテンションが上がった。
詩音の離婚がどうこうではなく、ただ単純に詩音が身近に戻って来ることが嬉しかった。
受かれた気分で一也は何の気なしに加奈子の呼び出しに応じた。夏祭りの時期のこと、毎年運営に関わらない代わりに後援費をおしまない加奈子のうちだから、その話だろうと思ったのだ。
そこで加奈子の話を聞いた一也は面食らった。
妊娠初期、入院する程ではないが絶対安静が必要な切迫流産。
父親は敏樹。
加奈子は、女友達が多くて誰とでも親しい敏樹と自分が本当に付き合っているのかどうかすらはっきりわかっていない様子だった。
もし自分が不特定多数のひとりだとすれば、敏樹に迷惑をかけるだろう。打ち明けていいものかどうか、踏ん切りがつかない。
加奈子の相談相手を選ぶセンスのなさに一也は唖然とした。
そんな話、俺にされても…。
まるっきり縁がないジャンルじゃないか…。
正直、迷惑だと思った。
男女間のことは全っ然わからない。人を好きになったのも一度きり、誰かと付き合ったことも別れたこともない。付き合うために誰かを好きになろうと思ったこともないし、自分相手にそんな気を起こした相手もいない。ー幸いなことに。強がりでも負け惜しみでもなく、好きでもない相手に好かれたりしたら、自分はそれこそどうしていいかわからなくなってしまうだろう。
大体そのときはそれどころじゃなかった。もうすぐ戻って来る詩音のことを考えて、ほんのり浮かれていたかったのだ。男女交際において本当に何もないままここまで来た。細やかに浮かれ喜ぶくらいは許されていい筈だ。
…いい筈…じゃないかな…。
ステージで子供会有志が恋ダンスを踊っている。
……盆踊りじゃないんじゃないかなぁ、アレ…。
一也は内心首を傾げた。
しかも結構前に流行ったものだった気がする。まあ、そう考えたらうちの夏祭りっぽいかな。ちょっとズレてるとことか。
ステージの裾近くでゆりべこちゃんが大きな頭をユラユラさせて椅子に腰掛けている。詩音だ。
大丈夫かな。詩音ちゃん。
小さな頃から意固地で頑固だったしぃちゃんは、そのまんまここに帰って来た。すっかり綺麗な大人の女性になって。