第10章 丘を越えて行こうよ
「だから着ぐるみなんか止めればいいのに」
「今更止められないでしょ。中身は汗だくのよれよれなんだよ。着替えに戻ってる暇なんかないしさ」
「よれよれだっていいじゃないか。別に変じゃないよ」
「バカタレ。お前が変じゃないって言ったってしょうがないんだよ。実際問題よれよれのボロボロなんだから、見る目のないヤツは黙ってろっての」
「そう?そういう詩音ちゃんも可愛いと思うけどな」
さっき差し出した手をそのまま下に向けて、一也がぽろっと言った。
その手を、とろうとして、とられかけて、ふたりの目が合う。
「………何見てんのよ?」
「詩音ちゃんこそ」
「見られたら見るわよ、アタシは。売られた喧嘩は貧乏しても買う派だから」
「またそういう訳のわかんないことを…」
「アタシ相手にメンチ切ってただですむと思うなよ」
「猫じゃあるまいし、目が合ったくらいでいちいちケンカしてたら保たないよ?」
「いちいち素直に真に受けるんじゃない。実際そんな真似はしませんよ、勿論。大抵の相手には穏やかな笑みを浮かべて会釈します、私は」
「そんな詩音ちゃん見たことないな」
「そんな詩音ちゃんはアンタ用じゃないからね」
「俺用の詩音ちゃんなんているの?」
驚いた一也に詩音は吹き出した。
「なーに言ってんの。そんなのいるワケないじゃん」
「………じゃ、俺、行くから。詩音ちゃんも頑張って。ちゃんと水分摂って気を付けて」
一也が苦笑いして、差し出した手を引いた。
「ああ、うん。わかった。まあ頑張ってね」
倒れ込んだままぎこちなく顔を上げて言った詩音に、一也は苦笑いのまま頷いてきびすを返した。
「………」
立ち去る一也の後ろ姿を見送って、詩音は椅子の足にしがみついた。
「放置プレイかい。助けてから行けっての。何なんだ、全く…ひゃ…、冷た…ッ」
倒れ込んだ拍子に溢したらしいお茶溜まりに肘を濡らして、詩音は顔を顰めた。
「踏んだり蹴ったりだな、もう」
空のペットボトルを横目に立ち上がり、溜め息を吐く。髪を掻き上げようと手を上げたら、さっきの一也が思い出されてまた顔が熱くなって来た。
「一也相手に何やってんだ。しっかりしろ、詩音」
「おい、今野。準備出来…」
今一度頬を叩いてゆりべこちゃんの頭を拾おうとしたとき、着ぐるみを手配してくれた加美山が顔を出した。