第10章 丘を越えて行こうよ
「詩音ちゃん!加奈ちゃんは今ね……」
ここで加奈子が動いた。詩音に百合の花束を渡しにっこりすると、一也を振り返る。
「一也くん。お祭りの司会、あれ、私、やるから」
「え?」
「は?」
加奈子の一言に、詩音と一也の間抜けた声が重なった。
加奈子はニコニコしながらふたりを見比べた。
「何だかね、急にそういうこともしてみたくなったの。家の中のことだけじゃなく色々出来た方がいいでしょう?」
「加奈ちゃん!」
「大丈夫よ。心配し過ぎないで、一也くん。あんまり過保護にされ過ぎてもよくないと思うのよ」
「でも……」
「ステージに立つとき以外は座って大人しくしてるから。無理なら無理ってちゃんと言うから」
「……何?加奈子さん、体調悪いの?」
眉を顰めた詩音を見て、加奈子が声をたてて笑う。
「違うの、詩音ちゃん。私、妊娠してるの」
詩音はポカンとして、それから、カッと眉を跳ね上げた。
「犯人はお前か、一也あぁぁあ!!!!」
百合の花束が一也の顔面を正面から強打する。
「うぶッ、お、落ち着け、詩音ちゃん!この場合犯人じゃなく父親だろ…うわッ」
再び振りかぶられた百合の花束をのけ反って躱し、一也は舞い散る百合の花粉を手で払った。
「父親も犯人も一緒だ!お前どの面下げて俊樹ンとこでお好み焼なんか食べてんだ!この裏切り者!!」
「詩音ちゃん、大丈夫。犯人は一也くんじゃないから」
尚も百合を振り回す詩音をおっとりと止めて、加奈子はしぃッと唇に指を乗せた。
「ちゃんと話すからうちに来て?百合の花も切り直してあげるから」
「あ……」
見るも無惨な姿になった花束を見下ろし、詩音はばつの悪い顔をした。
「折角のお花を……。ごめんなさい…」
「何だか誤解させてしまったみたいね。後は私から話すから一也くんは仕事に行きなさい。お盆前の仕事納めで忙しいんでしょう?こんなところで油を売ってちゃ駄目よ」
加奈子に言われて一也もばつの悪い顔になった。
「加奈ちゃんがそれでいいなら…」
渋々言って、詩音に目を移す。
「じゃあ詩音ちゃん。後で…」
「………」
詩音は一也を睨み付け、次いで思いっきりそっぽを向いた。
「詩音ちゃん……」
「お前なんかもう知らん!大嫌いだ、バカ!」