第10章 丘を越えて行こうよ
一頻り言い合った詩音と敏樹が黙った途端、店内は空調の音しかしなくなった。
静かだ。
鼻息も荒く訪ねた一也は留守だった。仕方なく詩音は高校時代に使った自転車を引っ張りだして敏樹の店に顔を出すことにしたのだ。もしかして一也がいるかもと思ったから。
しかし敏樹の店は、一也どころか客すらいないという体たらく。景気の悪い顔をした敏樹がひとりでつくねんと鉄板の手入れをしているのを見た瞬間、店の戸をそっ閉じして帰ろうかと思った。が、それも愛想のない話だ。カウンターで敏樹をからかうことにした詩音は、昼時の飲食店とも思われない静謐な空気に満ちた店内を見回して、ニコッと笑った。
「開店休業どころか廃墟の静けさを思わせるわね!」
カウンターの鉄板の火を消して、敏樹が肩を落とす。
「…何しに来たんだよ、お前は…」
「聞きたい?」
「だから聞いてんだろ?何しに来た?」
「強いて言えばひやかしに来た」
「帰れー!!!」
「やだよ、暑いし。も少し涼んでからね」
「もぉいい。わかった。飯食わせてやる。出るぞ」
サロンエプロンをバサッと外して、敏樹は空調のスイッチを切った。
「ひとりで出てかねぇってんなら連れて出るまでだ。来い、疫病神」
「そんな事言われてついてく馬鹿がいるか」
「丁度いい。相談したいことがあったし」
「相談したいこと?」
「……お前に相談して参考になるかどうかわかんねえけど、まあいいか」
「ミッキーもビックリの失言大パレードだな」
「ミッキーは声がおっさんだから嫌いだ」
「お前の好みなんか聞いてねえし」
「ディズニーなら白雪姫がいいよ。世話焼きで優しくてさぁ、小人と暮らしてて、小鳥とか兎とかが友達とかな!スゲー可愛いよな。ヤバくねえか?」
「継母に命を狙われてるし、林檎も噛まずに呑んじゃうヤンチャ者だしな。ヤバいと思うよ、色々と相当に」
「夢のないヤツだな…」
「白雪姫マンセーの男なんか初めて見たよ。ヤバいのはお前だ、レバニラ豆腐。夢見る頃はとっくに過ぎ去ってそろそろ身近なアースラと身を固めなきゃならないお年頃だろ、お前は」
「年頃うんぬんは兎に角何で俺がアースラと身を固めなきゃならないんだ…」
「現実は厳しいものなんだよ、敏樹」
「アースラだって夢の国の住人じゃねぇかよ」