第10章 丘を越えて行こうよ
「うふふー。ところで詩音。加奈ちゃんから電話があったわよ?」
「おっと」
「おっとって何よ。何だか夏祭りの司会の事でお願いがあるっていってたけど?」
「お願いも何も…」
どんなお願いかは大体予測が付く。
「アタシ出掛けるから。連絡あったら、詩音は忙しいから無理って言っておいて」
「何が忙しいのよ。今のとこ、ぜーんぜん暇じゃない」
「夏祭りの実行委員会は忙しいのです。よろしくね」
「ちょっと詩音。お昼は?」
「花月でラーメン食べるからいい」
「この暑いのに…」
「いいの。一也の奢り」
ムヒを薬箱に戻して、詩音は足を指差した。
「これのお詫びにしちゃ安いモンじゃない?」
「それ、一也くんの仕業?面白いことされたわねぇ。蚊にびっしり刺されたみたいに見えるわよ?」
「蚊にびっしり刺されたからね」
「じゃ一也くんの仕業じゃないじゃない」
「いいえ。一也くんのせい。だからお詫びして頂くのです。シャワー使うね」
「使い終わったらちゃんと窓開けときなさいよ」
「わかった」
窓を開けて物干し竿にかかったバスタオルをとった詩音は、日差しに目を細めた。
「今日も暑いねぇ」
「今年は暑くていい夏だわ。やっぱり夏は暑くなくちゃねえ」
元旦那の武洋は暑いのが好きだった。夏は海だ登山だキャンプだバーベキューだと、あちこち引っ張り回された。
「武洋さん、元気かしらね」
同じことを思っていたのか、ポツンと母が洩らす。
「元気なんじゃない?」
大好きな夏だし、新しい相方をつれ回してあちこち遊び回っているだろう。
詩音はバスタオルを首にかけて朗らかに笑った。
「アイツのことだから、今頃日に焼けすぎてヒィヒィ言ってるね。ザマミロだよ」
「そうねぇ。何だか夏はいっつも焼きすぎでヒィヒィ言ってたものねぇ、あの人」
「ヒィヒィ言うのが好きなのよ」
何回言っても気を付けもしない。夏は日に焼けるものだからと嬉々として日に焼けて、嬉しそうにヒィヒィ言っている。そんな武洋の仕様もないところが好きだった。
「…ホント馬鹿なヤツ」
呟いた詩音の背中を、母がぽんぽんと叩いた。
「早くシャワー浴びちゃいなさい。一也くん待ってるんじゃないの?」
「え?待ってないわよ。約束してないんだから」
「…やっぱり?」
「そう、やっぱり」