第10章 丘を越えて行こうよ
三望苑という低山の上に展望台がある。
水平線を描く海と他山の連なり、何本も走る川に馴染みの町並み、広く平らかな田んぼがいっぺんに見晴らせる、なかなか気持ちのいい場所だ。
園児や小学校の低学年の遠足の定番、家族連れの安上がりなハイキングの出先、夜ともなれば夜景目当てのカップルのデートのメッカ、地元の細やかな憩いの場である。
が、この三望苑、低くはあるが裾野の広い山の上にある為、辿り着くのに意外と難儀する。
詩音と一也も双方の親に連れられて、手弁当付きのハイキングをよくしたものだ。したものだが、展望台のある天辺には連れて行って貰ったことがない。ふざけて柵を乗り越えた高校生が大怪我をしてからこっち、子供は展望台に行ってはいけないことになってしまったからだ。
行けないとなれば行きたくなる。詩音がどうしても展望台に行くと泣いてごねたのが、小三の夏。
巻き込まれたのは言うまでもなく一也だった。
「しぃちゃん、待って。急いだら危ないよ」
砂利の坂道を行きながら、小さな一也が小さな詩音を引っ張る。
「転んじゃうよ」
「転ぶくらい平気だよ。一也の弱虫」
息を切らせて詩音がふんと顎を上げた。疲れて足が重いのに、一也に弱味を見せたくなくてしぃちゃんは意地を張っている。
お父さんお母さんが連れて行ってくれないなら、自分たちで行くだけだ。
今日こそ山の天辺でお握りを食べるんだ。そしてこの山の向こう側に何があるのか見てやるんだ。
潮の匂いの交じった風が海の方から吹いて来る。足が痛い。喉が乾いた。
泣くもんか。泣かないぞ。泣かないったら。泣いたりしないんだ。
「危ないって、詩音ちゃん」
大人の声がした。
「何でそんな無理すんの」
大人の手が差し出された。
「ゆっくり行こうよ。焦ることないんだから」
涙が滲んだ目で見上げても、この大人の人が誰だかわからない。だけど詩音はほっとして、差し出された手を握り締めた。ガサガサに荒れた、働く人の手。
ふっとペンキの匂いがした。
良かった。もう大丈夫。
しぃちゃんは濡れた目を擦り、山の天辺三望苑を目指して誰だかわからない大人の手を引っ張って、元気よく歩き出した。
天辺の向こう側に、何が見えるのか楽しみにしながら。