第10章 丘を越えて行こうよ
「違うよ。流石に詩音ちゃんを生け贄にする気はないから。俺が言ってんのは加美山のこと。アイツ、春に役員やったから夏は面倒な仕事はやらないって逃げ回ってんだよ」
詩音から受け取ったビールを開けた一也は二の腕をパチンと叩いて顔を顰めた。早速蚊に食われたらしい。
「俺は裏方の進行取り仕切んなきゃだし」
「加美山かぁ。あれがごねたらメンドくさいもんねぇ。やっぱ加奈子さんしかいないじゃん」
「…頼んでみるよ…」
「そうして下さい。…て、ちょっと。何枚あるんだ、このお好み焼。食べきれないから」
「おじちゃんおばちゃんと食べたら?」
「うちの親は見ての通り、八時には寝静まって朝の六時までぐっすりですよ」
「何でそんなよく寝んだろうね、おじちゃんおばちゃんは。娘の詩音ちゃんは宵っ張りなのに」
「何だろうねえ。でも寂しいもんよ、家族がさっさと寝静まるのは」
「そういうもんかな。うちは皆宵っ張りだからよくわかんないなぁ」
「そうそう、アンタんちは夜更かしだよね。いっつも羨ましかったんだ」
詩音のうちの居間からは、一也のうちが見える。日頃は兎も角、年越しやお盆など行事のあるときは遅くまで灯りのついた賑やかそうな一也のうちが羨ましかったものだ。
「今年のお盆も賑やかそうだよね」
寿司屋への注文を算段していた一也と美佳子のやり取りを思い出して、詩音は冷たい缶ビールを額にあてた。
「まぁ近所が賑やかだと寂しさも紛れるからさ。せいぜい盛り上がって頂戴よ」
「そうは言うけどこの年になるとそういう席も居辛いもんだよ。嫁さんはまだかってせっつかれっ放しで居たたまれないし」
「お前も生け贄か…。困ったもんだね」
一也が矢鱈と行き場所に気を遣う訳が分かった気がした。下手をすれば噂が元で結婚させられかねない危機感が只事ではないのだろう。
「不便なモンだ、大人になるってのも」
鼻と涎を垂らして大泣きしていた一也くんと詩音ちゃんも、もう一緒に遊んでられない年になってしまった訳だ。
コントローラーを手にとってTVをつけた詩音は、ビールを煽って縁側の一也を見た。
「で?アンタ、好きなコはいる訳?」
和也がビールをごぶっと噴いた。
「な…何だよ、いきなり」
「いきなりじゃないでしょう。凄く普通の流れじゃない。好きなコと一緒になっちゃうのが一番早いんだから」