第10章 丘を越えて行こうよ
穏やかに言う詩音に美佳子は首を振って顔をしかめる。
「出戻りなんて親戚が集まった日には格好の餌食だよ?生け贄みたいな?何とか誤魔化して逃げちゃった方がいいよォ?」
それくらいわかってるわ。何の為にしち面倒な夏祭り実行委員なんぞになったと思ってるんだ。
それより美佳子よ。アンタ今出戻りっつったか?言ったな?
よぉし、いい度胸だ。
夏祭り、アンタがステージに上がった瞬間ブレーカー落としてやるからな。暗闇で右往左往しやがりなさいませだ。フハハハハハ。
「……詩音ちゃん。美佳子、悪気はないから。あんまり腹黒い事考えないでくれよ?あれで夏祭りの出し物も頑張って練習してるんだから。頼むよ」
鼻歌混じりで仏間を出て行った美佳子を見送って、一也が八の字眉の情けない顔をする。
ブレーカーを落とすくらいで腹黒い?なーにを言ってるんだ、片腹痛い。ふ…ふふ……はははははは!いや、こりゃ駄目だ。冷静にならねば。
「一也くん。ちょっと出ようか?」
流石に頭を冷やした方がいいと思った詩音は一也の情けない顔を見た。
「外で打ち合わせしない?その方がね、いいと思うの。ふふふ」
「……詩音ちゃんがそう言うなら」
明らかに怯えながら一也が頷く。
「じゃ着替えて来るからちょっと待っててくれるかな」
「そう?なら早くして?今美佳子ちゃんと二人にされたら、私、何をするか我ながらわかんないみたいよ?」
「…急ぐよ…」
ひ弱そうな体を揺らして一也が頼りなく仏間を去る。
詩音は麦茶に入った氷をコリコリ噛みながらそれを見送った。
幼馴染みなんてどこにでも転がっているあり触れた関係だけれども、その相手は選べるものではない。
三つの頃から顔見知りの一也は、当時から既にパッとしない子だった。しかし近所で唯一の同い年の子供として、詩音は主に彼を子分扱いしていた。
子供のしぃちゃんは今よりずっとジャイアンだった。可哀想な一也くん。
そんな二人の間には周りに語れるような美しい記憶など一個もない。
鮒を追って用水路に落ち、畑で赤唐辛子を齧って馬鹿泣きし、田圃に手製の筏を浮かべて沈み、ハイキングに行けば家族と逸れて迷子になる。怒られる。泣く。忘れる。また怒られる。
全く普通に仕様もない子供時代。