第8章 はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー
そうして結局どうなったかって?
汐崎ニシパはチマを連れて海を渡った。キムンカムイに殺られ損なったウェンペは、その為に金が要ったのだ。
ヤワ(内地)に着いて最初の宿で、ニシパは私の染み付いた服を脱ぎ捨てた。同様にチマも着替えさせられた。シサムの様な格好をさせられたチマは、耳を覆う包帯で頭を巻き、言葉少なに海ばかり見ていた。
ニシパは何処かでチマを金に替えるのだと言った。これから始める商売の元手が要る。だからお前を売らねばならない。チマは黙って聞いていた。
金を儲けたら買い戻してやる。それまでよく勤めろ。
チマは頷かなかった。ただ宿の小さな明り取りから、じっと海をー朱い糸の先、ネツを眺めていた。
そのとき朱い糸は、まだ切れていなかった。
私は宿に捨て置かれた。
ニシパとチマから逸れた訳だ。
置いて行かれたと分かった途端、私は必死でしがみついていたニシパの襟首から何の苦もなく離れる事が出来た。
ふむ。
染み付いても上手く離れるコツがあるようだ。ひとつ覚えた。まだ覚える事は沢山あるだろう。そう思った。
兎に角明り取りの縁に宿り、陽の光を受けて一度空に昇った。
出来るだけ多くの雨垂れと会いたかったから。
ここに居る皆同様、雨垂れは一体にお喋りだ。そして様々な場所へ滴り降り落ち、様々なものを見聞きしている。
私はあちこち彷徨いながら、セタとマッカチ、そしてウェンペの話が聞こえて来ないか、耳を澄まし続けた。
北海道ー私たちの居たシリ(土地)はそう呼ばれていたーで、人を食う大羆が出てアイヌやマタギが山狩りをしたそうな。さんざ探し回って引っ張り回され、見つかったのは巣穴だけ。頭の良い羆なんだろが、そんだけ用心深いんだば、臆病なんだべな。
巣穴さちゃっこい(小さい)耳の、カサカサに乾いたのが転がってたって話よ。食い残しだべかね。気味の悪ィこと。クワバラクワバラ。
ーキムンカムイは執念深い。一度自分のものと思い定めた獲物は、どこまでも執拗に追い続ける。
巣穴の小さな耳。
あのキムンカムイはチタを追って人里へ下り、ウェンカムイになってしまったのだろうか。