第8章 はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー
驚いたチマが声を上げ、再び銃声が鳴り渡り、私は私でカムイタッニ(岳樺)からずり滴り、慌てて手近な生地に染み付いてしまった。
それが何と汐崎ニシパの襟首、盆の窪の辺り。
厄介な。染み付くと容易に離れられなくなる。
そんな事を埒もなく考えた目の前を、血塗れのチマが横様に飛んで過ぎった。
耳。
耳が千切れている。
……!?
馬鹿な!何がどうした!?
アツのくぐもった唸り声が振れて聞こえる。何かに噛み付いて、それに振り回されているようだ。
何だ?まさかエベレか?生まれたばかりのエベレが、こんな…
「…ちッ、クソが…ッ」
汐崎ニシパが腰のマキリ(猟刀)を引き抜こうと体を捻る。普通見かけるマキリより大振りで、獲物を仕留めるのにも使えそうなものだが、これでキムンカムイに向かうのは無謀だ。何故銃を使わない?
右の爪にチマのものらしい小さな耳の欠片をぶら下げた雄のキムンカムイが巣穴の前に立ちはだかっている。
汐崎ニシパに撃たれたキムンカムイのウムレク(連れ合い)か。
珍しい。
普通事を済ませた雄は立ち去ってそれきり、雌にも子にも構わぬものだ。それがコイツは気配すら殺して、誰にも気付かれないよう巣穴の奥に身を潜めていた訳だ。私に、そして多分随分と鼻が利くだろう汐崎ニシパにも気付かれなかったのだから、堂に入った潜みぶりだ。
とんだオアルニカプ(臆病者)か、ひどいニッネカムイ(悪い神。怠け者を罵るときにも使う言い回し)だ。
その胸元に、首を狙ったのだろうが高さが届かなかったらしい小さなネツが唸りながら食らいついて揺れていた。ただ一匹、巣穴のオアルニカプ(臆病者)に気付いた勇敢なセタ。
汐崎ニシパの横腹も血を流している。…丁度チマの頭くらいの高さ。まとめて薙ぎ払われたのだろう。チマの頭とニシパの脇腹と、大事な猟銃も。
「巣穴に隠れてやがったか。女々しい野郎だ」
汐崎ニシパが歯を剝いて笑った。もの凄い顔で。
矢っ張りこのオッカヨ(男)はウェンペだ。そういう臭いがする。
けれど何故だろう。
必ずしも善くないのに、凄く周りを引っ張り寄せる何かがこのオッカヨの真ん中にある。蜘蛛の巣みたいに張り巡らされた何かが、今まで沢山のものを引っ掛けて来たのがわかる。それは望むと望まぬに拘らないこのオッカヨの質のようだ。
こういうのを質が悪いというのだろう。