第2章 並
十市の小さな小屋が見えて来た。
灯りが灯っている。
「おるな。有り難い」
並は一先ずほっと息をついた。
山野を昼夜問わず歩き回る十市は、屋を空ける事が多い。今日いっぺんで捕まったのは幸運だった。
「幸先の良い事」
口元を弛め、並はほとほとと薄い引き戸を叩いて訪いを告げた。
「十市。おるんじゃろ?並じゃ。開けやい」
中で人の動く気配がして、すぐに戸が開いた。
髷を結った切れ長の目の女が顔を出す。
いつ見てもおかしげな髪じゃ。何故丸めんといかんのだろ。あっしや里の女の様に括った方が美しいのに。
年頃の女ノ子らしく、並は十市の異装が気になってならない。里では皆髪を括って垂らしているのに、十市は髪を風にも水にも晒さない。単衣ではなくもったりした厚手の袷を纏い、脚衣に足を包んでいる。
人より変わった恰好をして、だからますます遠ざけられるに馬鹿な奴。
並の内心を知ってか知らずか、里の忌み人は迷惑気に眉根を寄せた。
「···この夜更けに何だ、お前は」
「話があるんじゃ。入れえ」
平気でズカズカと中へ上がり込む並に、十市は呆れ顔をした。
「長はだらしのない男だな。娘の躾がなっとらん。間もなく嫁入りすると聞いたが、山の里はさぞ迷惑するだろうよ」
相変わらずこの女は、虫の好かない物言いをしよる。
囲炉裏端に膝を流して座り込み、並は十市を睨み付けた。
「そこよ。あっしはさ、嫁になど行かん事に決めた」
十市は尚も呆れ顔で並を見返し、仕方なさそうに引き戸を閉めると向かいに端座した。
「それはお前ひとりで決められる事か?」
「あっしの事はあっしが決める。当たり前の事じゃ。もっと早うに気が付きゃ良かったわ」
「わしはお前の戯言に付き合う気はない。去ね」
面倒そうに言い放つと、十市は煙管に煙草を詰めて目を細めた。
「帰って寝ろ。寝て起きて飯を食って海で稼いで、日を数えて山に嫁げ。山じゃお前を待ち焦がれてる。下にも置かず大事にされるだろうよ。何の不満があるのだ」
「あっしの事はあっしが決めると言うとるんじゃ。あっしは山になぞどうしても行かん」
「好いた男ノ子でもあるのか」
十市の問いに並はせせら笑った。
「そんなモンあるか。馬鹿らしない」
「はあ。そうか。まあよいよ。どうでも。どのみちわしには関わりない話だ。去ね。もう聞きたくない」