第8章 はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー
キムンカムイがまたセタを、マッカチを見た。ぐふんと鼻を鳴らして足を踏み出し…
…踏み出し……
…踏み出さない…?何だ、どうした…?
カムイタッニ(岳樺)のガサガサごわつく樹皮にしがみつきながら、私はハッと気が付いた。
コルハム、このタクランケ(たわけ者)!
キムンカムイの腹が平たい。巣穴から頼り切った甘え声がする。
何故気付かなかったのか。
このキムンカムイは、子を生んだばかりなのだ。
キムンカムイが前と後ろ、セタとマッカチとエペレ(小熊)を見比べて、ふたつを秤に載せている。
迷う事があるものかよ。
カムイタッニから滴り落ちそうになりながらキムンカムイを見る。
お前にとってエペレより大事なイコロ(宝)があるものかよ。
そうだろう?
見逃せ。
見逃していい。
善行は返る。悪行と同じく。
お前らとヒトではその規範が著しく違うが、気付かず積む善悪もまた身に返るんだ。それがイカッチピ(輪廻)の鎖を解いたり巻いたりする。
善悪と簡単に言い切れるものは何もないけれども、返って来るものが自ずからそれを物語る。判り辛く見逃しがちだが、因果もまた廻るのだ。
キムンカムイ。お前がセタとマッカチを襲っても悪い事はない。
イウタニ エシオカイ(それがお前たちだ)。
けれど今は食物も潤沢、瑞瑞しい木の実も噛み締めれば身の爆ぜる川魚も、山に溢れている。
産後の身体を癒すのにヒトを食ってウェンカムイ(悪神)になる事はない。
大体そいつらはお前らに害なす程に強くも何ともないんだから、無益な力を使うなよ。
キムンカムイはまだ前と後ろに意識を分けている。
迷ってるんだな。わかるよ。
大丈夫、巣穴に戻ってエペレを抱いて寝直せよ。寝て起きたら甘い露を纏ったクッチプンカル(猿梨)やトゥレプニ(山桑)の実を食って、うんと伸びしてエペレと戯れろ。
いい乳を出していいエカチ(子)を育てろよ。
何も出来ないから愚にもつかない事を祈るように思い続ける。
ふたつでひとつが、今ここにふたつある。
セタとマッカチと、キムンカムイとエペレと。
光彩を放つよっつでふたつの輝きは、温かく涼やかで、よっつでふたつという形態をそのまま表すように矛盾しながら私を魅了する。
仄朱く頼りない郷臭い灯り、碧く力強く立ち昇る山の灯り、どっちも消えて欲しくない。