第8章 はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー
尾の毛を被う獣の脂がピンと私を弾き返す。
ワッカ(水)とスム(脂)は相反する。性が悪いように思われがちだが、なかなかどうして、この相性は便利の悪いもんじゃない。
今もセツの尾の毛の脂と、水の性の私で狙い通りのツボを突けた。
いいぞ、セタ。
弾き飛ばされた先にシキナ(蒲)、カサついた葉の先端に身を乗せて踏ん張る。
雨垂れのひと粒にも重さはある。
些細でも何でもあるものは皆使え。頭いっぱい、身体いっぱい使って生きるんだ。
雨垂れだって、頭さえ上手く使えばものを動かす事も出来れば好きなところへ移る事も出来るんだよ。
しなって戻ったシキナの葉先からうんと跳び上がる。今の私はただの雨垂れじゃない。小さなアイへ(矢)だ。風を切ってキムンカムイの目を目指す。
あまりやりたい事じゃない。
生き物に無闇に接触するのは危険だ。体に取り込まれたらお仕舞いだから。
しかし何故かそうするだけの事があるという思いがある。初めて会ったセタとマッカチ相手に何を熱くなっているんだか、自分でもよくわからないが止まらない。止まらないなら仕方ない。
イウタニ クアニ(それが私だ)。
キムンカムイの目。
体液の薄い膜で潤っている。意外に長い睫毛に弾かれないよう身を捩ってセタが映り込んでいる瞳に飛び込む。
緊張しながら用心深くけれど間違いなく虹彩の真ん中を蹴りつけて、キムンカムイが瞬いたり腕で目を拭ったりする前に弾き跳ぶ。
低く短い咆哮が上がる。
威嚇の、ではない。戸惑いと驚き、苛立ちの些細な叫びだ。
気が逸れた。
驚かせて悪いな。けれどコイツラをお前の獲物にしたかないんだ。何でだろうな。
セタがキムンカムイに飛び掛かろうと頭を低く下げて構えた。
また舌打ちが出る。
一度跳べば細心に狙いでもしない限り、何処へ行くかわからない。地べたに着いてしまえば、弾けて跳ぶのが困難になる。
実際中途半端な高さの、水を弾きも飛ばしもしないカムイタッニ(岳樺)の幹にしがみつく羽目になった私は歯噛みする思いでセタとマッカチを見た。
馬鹿、いいから逃げろ。逃げろ!
マッカチがセタを抱き上げ、踵を返した。如何にも覚束無い幼い足運びに暗い気持ちになる。
……これは駄目だな…。
逃げ切れそうもない。