第8章 はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー
「ははは、ネツ、くすぐったいよ」
小さな鞠みたようなセタにじゃれつかれて、マッカチが笑い声を上げる。愛らしい声だ。しかし駄目だ。早くここから離れろ。
ここはお前たちが居る場所じゃない。場違いにも程がある。
生臭い空気が動いた。
ネツとかいうセタの幼い匂いじゃない。キムンカムイが目覚めた。
ネツがマッカチにじゃれるのを止めて鼻先を上げる。クンクンと匂いを読んでいるが、遅い。お前、セタのくせに鈍過ぎるぞ。
幼い事は生きる術の前では言い訳にならない。とは言え、このセタとマッカチは、死ぬのには早過ぎるだろう。
辺りを見回すがキムンカムイの気を逸らすようなものは何もない。
「ネツ?どうしたの?怖いの?」
マッカチが低く唸り出したネツを抱き寄せた。
「大丈夫、ここには誰もいないよ」
誰も居ないのがまずいのだというのに、何でこんな物知らずのポヤナイ(赤ん坊)みたいなマッカチがこの山奥に迷い込んだんだ?
親は何をしている。コタン(村)の者は一緒じゃないのか?
巣穴からキムンカムイの濃厚な体臭が噴き出して来た。
マッカチも異様な空気を感じたのか、ネツを宥めるのを止めて口を噤んだ。小さなセタに手をかけて、今気付いたような様子で、羊歯や苔、下生えに覆われてポッカリ暗い巣穴をじっと見詰めている。
アヂ(黒曜石)のような目がぽろりと転げ落ちそうだ。引き結ばれた小さな口はキライニ(ガマズミ)の実のように赤く、頬は色付きかけたハスカップ(スグリ)のように透明な薄紅。よくよく見れば馬鹿に色が白いのが物珍しい。
…ピリカヘカチ(綺麗な子供)だな…。
フと場違いな思いが兆した。
…何という名前だろう…?