第8章 はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー
ふたつでひとつのセタとマッカチは、てんで無邪気にキ厶ンカムイの巣穴のすぐ側を歩き回っている。
朝露を含んで湿っぽい下生えは乾いてカサつく昼日中より密やかな葉音を立てるものだが、コイツラほど遠慮がなくては密やかも何もない。
思わず横たえていた身体を起こした途端、丈高い樹葉から朝露が滴って、私の居る羊歯を打った。
あ、くそッ!
舌打ちするより先に身が下生えに滴する。
よりによってセタの鼻先、生臭い獣の息遣いに赤い舌が迫る。
「ネツ、露を舐めちゃダメ。お腹を壊すよ」
愛らしい声がセタの動きを止めた。
「山の露はトイセコッチャカムイ(コロボックル)のワッカ(水)なの。横取りしたらお腹を中からチクチク刺される」
今にも舌を噛みそうな幼な声だが、大人びた話し方が丈に合わない。セタは不審げに私を嗅ぎ回してから、ちょこちょことマッカチに寄って腰を下ろした。
「そう。ね、いいコ。ネツ、いいコ」
ネツ。妙な名前。セタにネツ(流木)?海で拾われたのだろうか。ここが山奥だけに一層妙な気になる。
獣を狩るアイヌの連中のひとりが煙草入れの根付けにした小さなネツを道具自慢するのを見掛けた事があるが、海から漂泊するものは浄められているという。だからこれはカムイ(ここでは御守りの意)になるのだと、そのオッカイポ(若い男)は鼻高々に語っていた。
山に海の護りを持ち込んでどうすると笑ってしまったが、あの時ネツ(流木)という言葉を識ったのだったなと思い当たる。
このマッカチは海のカムイ(御守り)を持ち込んで山のカムイ(羆を表すキムンカムイは山の神の意)を訪っている訳か。
しかし海のカムイは小さく幼く、キムンカムイに相対するにはあまりに心許なく見えた。どう考えても気の立ったキムンカムイが目を覚ます前に立ち去るのがいい。