第8章 6。
私は21歳まで調査兵団の兵士として働いていたが、壁外調査中に片脚を負傷した。その際、医師から復帰は不可能だと告げられたと同時に、リヴの妊娠が判明し、私はすぐに兵士を辞め、姿を消した。そして、22歳の時にリヴは出産した。
私たちは、私が兵士を辞めた時からの付き合いだ。彼女は私の身の回りの世話をするために、この家に住み込みで生活していた。彼女を私に紹介してくれたのは、私の脚の主治医だった。当時、彼女は診療所の雑用係として働いていた。
現在、脚の感覚は完全に失われており、長時間の移動は不可能だ。そのため、定期的に訪問診療を受けて診察を受けている。しかし、「訪問診療」という名目のもとで行われているものの、実際には治療法が存在しないため、再び動けるようになることはない。
それでも、主治医はとても良い方で、治療法はないものの、話を聞くことも治療の一環だと考え、定期的に訪問治療を行っている。彼はそれぞれの患者に合わせた治療法を真摯に探求し、向き合っている。
その考えは非常にありがたく、たとえ世間話であっても、私にとっては貴重な治療の一環だった。そして、あの頃は脚もまだわずかに動いていたため、私は診療所に通っていた。その際、診療所で働いていた彼女ともよく話をし、年齢も同じで性格も合ったため、すぐに意気投合して仲良くなった。
そして、次第に脚の感覚が失われ、動けなくなり、診療所に通うことさえできなくなった。その時、彼女が私の身の回りの世話をしたいと申し出てくれた。
私は最初は断った。しかし、リヴが生まれるまでの間、一人暮らしをしており、兵士を辞めてから日が浅く、精神状態が非常に不安定だった。そのため、一人でいる時間は耐え難いほど苦痛だった。
診療所で、私は、主治医に一人でいる時間が苦痛であることや、リヴを出産してからのことをよく相談していた。すると、主治医はその話を聞き、私と親しかった彼女に伝えたようだ。
そして、その話を聞いた彼女は、私と一緒に暮らすことを決めてくれた。実際、私も定期健診のために診療所を訪れた際、彼女と一緒にいることや話をすることが楽しみであり、癒されていた。