第2章 黒ずくめの男
「見て、山田野さん。またあの黒ずくめの人いるよ」
「またいるの?」
同期の大塚が小さく指差す方向を見ると、確かにここ最近来るようになった男が煙草をふかして席に着いていた。
黒いハッドに黒のスーツ、そして黒い髭を生やしている怪しい男。
カフェでアルバイトをしている山田野千代は、それを不審に思って眉間に皺を寄せる。
ほぼ毎日といっていいほど千代がシフトで入るとき入店して来て、毎回同じコーヒーを頼んで仕事相手か恋人かは知らないが誰かに電話をし、しばらくしたら帰っていく。
「ってことでたまにはあの人にコーヒー置いてきて!」
「なっ、なんで私なんですかぁ?!」
どこからか現れた女の先輩に千代はトレイに載ったコーヒーカップを渡され、足を重くしながら禁煙席の扉を開け、煙草を吸いながら足を組んでいる黒ずくめの男が座っている席の前まで歩く。
そしてお得意の営業スマイルだ。
「ご注文のコーヒー、お待たせしました」
「ああ、ありがとう」
初めて聞いた印象が強く残る黒ずくめの男の低い声。
男がコーヒーカップを受け取ると、千代は真顔になり大塚と先輩の元に戻った。
「どうだった?」
「いや…全然怖くなかったです」
二人はトレイを持ったまま黙り込んでしまった千代を首を傾げ不思議そうに見つめた。
父親が亡くなり親戚の家に預けられ、一人暮らしを始めてから約三年。
将来やりたいことはいまだに見つかっていない。
お金稼ぎのためと暇つぶし、一人になるためにアルバイトを始めたつもりだった。
このままなにもない平凡な毎日が過ぎていく……そう思っていたはずなのに。
あの黒ずくめの男のおかげで少しだけ毎日が楽しくなるとは、彼女はこのとき知るよしもない。