第3章 東京市大森区 平和島
大概の事では動揺しない須崎司祭が、珍しく震えている。その理由と、彼女が挙げた者達に関しては、話せば長くなるが、いずれ語るべき機会が訪れるであろう。いずれにせよ姉さんは、須崎司祭の思惑を裁可したくない。
「錯乱の芽を摘むために、中浦の家を滅ぼせと?そして血を絶やせと?優和様はそうお考えですか!はあ…優和様は隣人を懐疑し過ぎですよ、昔から」
「聖様は、ヒトという動物を信用し過ぎです。もうお若くもないのに…」
「はい?」
「ごめんなさい」
「…お二方、禅問答などしている場合ではあるまい?其の方(そのほう)の青年が、呆れた眼で見ている」
全く以てその通りだが、言葉遣いが回りくどいのは、寿能城代も他人の事など言えない気がする。
「アガタ様には生きて頂きます。元来、現し世(うつしよ)に生きる価値のない衆生(しゅじょう)など、殺(あや)めて良い生命など、一つもないのです。それは、天主がお決めになられる事です。私は、私は…人間を信じたいのです。いえ、信じなければならないのです!」
「子孫は先祖の宿命から逃れられない」という世界観は、歴史を物語として解釈する際に一定の説得力を持ち得るが、適用を誤れば優生・差別思想に転ずるため、民衆に天賦人権を説法する立場として、安易に肯定する事はできない。しかし、そう考える姉さん自身が、シャーマンであった母に受胎して生まれ、十三宮の神聖な血統を受け継いだ事を根拠として、現在の地位にあり、オカルティストから「能力者」などと分類される人種なのである。その意味で、十三宮聖という人間は、平等主義と優生思想の両極を振幅する側面を持つが、変わらぬ底面を(彼女の好きな)一文字で表すならば、それはきっと「義」なのだろう。
「ええ…少なくとも、結(ゆい)ちゃんは星川(ほしかわ)の、精士郎(せいしろう)様は八洲の業に終止符を打って下さいました。その代償も少なからず、でしたが…きっとアガタ様も、中浦の…今は祈りましょう」
人は、自らの意志で変われる、運命をも乗り越えられる…姉さんは、その可能性に未来を懸ける覚悟を決めたようだ。
「まあ、百年後の事は、百年後の者達に判断して頂ければ。それより須崎司祭、戦況のほうは?」