第19章 夏の思い出-2
「兄上……」
それは…遠い昔に、人間に与して邪妖と戦い、そうして亡くなり…生命を失った後も、妖力を蓄えた角でもって封印の助けとなっていた、男にとってはたった一人の肉親だった兄の角の一部だ。
つい最前、邪妖があの人間(佐奈)に気を取られている隙に打ち込み、今度こそ完全に滅ぼしたのは、兄の角ではなく……。
そっ…と、男は自らの頭に手を伸ばす。
そこには一本の角があったが…しかし、既にそれは根本部分から無残に折れて失われている。
その失われれた男の角こそが邪妖を仕留め、二度と甦らぬよう滅した武器だった。
遠い昔、まだ妖力の弱かった男は、兄が人間と共に邪妖に挑む背中を、ただ見送った。
あの頃の男はまだ妖としては若すぎ、力も弱く、お前は来るなと兄も言った。
だから…という理由も確かに事実だが、男は…人間というものが嫌いだった。
だから人間に肩入れする兄が、理解できなかった。
そうして…兄を失った。
共に戦ったところで、かつての男の力では何ら役に立たなかったろうが、それでも、その過去は男にとっては永く棘のように胸に刺さり続けた。
今も、人間など好きではないし、どうでも良いと思っている。
だが、兄の残した角が社を守り、そこに邪妖が封じられ続け、人間達が封印の儀式を忘れぬ限り……。
せめてその間は、今では同胞もない孤独の身となっても、この山に留まり、見守ってきた。
だが、もう……。
男は自らの角を失いながらも、邪妖を滅ぼした。
兄が残した角は、封印の一助にはなっても、もはや邪妖を討つほどの力を残してはいなかった。
だから社に奉られていた兄の角を咥えた狼は、初めからおとりだった。
隙をついて邪妖を滅ぼすのは、生きてここにある自らの角……。
しかし男一人では、邪妖と対峙しながら角を打ち込むだけの力はない。
だから男が狼に持ちかけた真実は、社から持ち出された、今ではほとんど力を失った角を持って邪妖を引き付ける、おとり役。
それは非常に危険な役回りだったが、事実を聞いた上で、あの狼は頷いた。
『それで解決するなら、仕方ないですね』
何でもなさそうに、狼はそう言った。