第11章 気掛かり
匂い。
血と煙草と松明草、乾いた草、古びた紙、着古した布の埃臭さ。
加えて、甘ったるくすえた燻った香り。
風。生温かい風の匂い。
移り香ならば、その細やかな匂いの数々を全て感じられる訳がない。
滅多な相手ではわかるまい。あの地味な女を彩る雑多な匂い。関わりの深さと情報量によって嗅ぎ付けられる僅かな香り。
デイダラは、嗅覚か、もしくはあの紅顔のポーカーフェイスを潜り抜けて匂わせる、常態ではないかもしれないサソリの様子か、何を何処まで嗅ぎつけているのか。
臭いの意味は一通りではない。
デイダラの室に鍵はかかっていなかった。
訪いを告げても反応がなかったので、鬼鮫は勝手に扉を開けた。
「何だよ」
窓辺の卓でまた木塊相手に小刀を使っていたデイダラが振り返りもせずに言う。
「臭えの意味が知りてえなら角都に聞けよ。一両もありゃ教えてくれんぞ、多分。まぁテメェは磯の散開のとき暁に金を払ってっから、そんな余裕もねえか?人の懐具合なんざどうだっていいけどよ、うん。俺の財布が痩せてなきゃ、んなこたァどうだっていい」
「……サソリは何処です」
両の手を脇に垂らした格好で戸口に真っ直ぐ立ったまま、鬼鮫はデイダラの後ろ姿を眺めた。
木を削り出す作業に伴う筋肉の動きが苛立つ内心を隠そうと固くなっているのが見てとれる。隠そうとすればより露わになるのに、依怙地で未熟なデイダラにはそれがわからない。
サソリ云々の話ではなく、今自分のしている事に口を出されたくないのだろう。
若い。
鬼鮫は口角を上げて腕を組んだ。
煩わしい程に様々な事を感じずにいられない年の頃を、その苦しさの最中に萌える人恋しさを、鬼鮫とて思い当たらないでもない。
胸苦しく惹きつけられずにいられない相手。
ーそれが浮輪杏可也であるならば、気持ちの始末は面倒でしょう。
まだ若く今より心の柔らかかった頃、我が惹かれた風に棚引く白布のような罪のない清々しい娘と、彼女に下した己の所業が思い起こされた。
彼女を思うと、暗い胸の内にまた一滴、真黒い墨汁の如き雫が滴るような心地になる。
「確かに浮輪杏可也は魅力のある女性ですよ」
鬼鮫の言葉にデイダラが振り返った。
「…何だ、それ」
険しい表情を浮かべたデイダラに、鬼鮫は薄く笑って見せた。
「惜しい事をしましたかねえ」
「何が」