第2章 女泣かせの糸(高杉甘裏)
ただ、吉原に売られて10年。
あたしは若い娘とは違う。
黙って酌をしているだけで相手の機嫌はわかる。
買った花魁に手を出さないのは不思議なようだが、日頃のしがらみから離れ、一人になりたくて、こういうところに来る客もいる。
この客もあるいはそうなのかもしれない。
あたしは酌をしながら、満足そうに杯を傾ける客を眺めていた。
「百合花と言ったか」
「そうでありんす」
「……また近いうちに来る」
交わした言葉はそれだけだった。
名乗ることもせず、帰っていく。
不思議な客――だがそれだけに、心惹かれた。
階下に降りていくと、遣手の婆さんが珍しくホクホク顔で私を迎えた。
「百合花さん、さっきの客、どこの誰なんだい?」
「さあ。何も話さない方でしたから」
「ご祝儀だってんで、こんなに払っていったよ。アンタにもご祝儀だとさ。よほど気に入られたんだねえ」
婆さんはあたしの懐に懐紙に包まれた札を押し込んだ。
「どんな手管を使ったんだい」
「……」
「久しぶりの上客じゃないか。また来てくれると言ってたかい?」
「ええ。近いうちにと」
「そうかいそうかい」
後からその懐紙を開いてみて驚いた。
床を共にしたわけでもない花魁に渡す祝儀には大きすぎる額に思われる。
女の身体を買いに来たのではなくて、一人になる時間を買いに来た。
あたしにはやはり、そう思われてならなかった。