第5章 陸
湯気が濃くなる。
絡みついた視線を、直哉はふいに外した。
「……お前の親父のことやけどな」
の息が、わずかに止まる。
一瞬だけ。
すぐに何事もないように呼吸を整える。
「……父、ですか」
「仕込まれたんやってな」
単刀直入だった。
湯気の向こうで、の瞳が静かに揺れる。
「……仕込まれた…とは」
「とぼけんな」
「夜の作法や。教わったんやろ」
沈黙。
湯がわずかに揺れる音だけが、間を埋める。
「……作法は、家の中で…教わりました」
曖昧な答えに直哉の眉がわずかに動く。
「家の中、て」
湯の中で、膝が強く触れる。
「親父か」
「……父は、厳しい人でした」
肯定でも否定でもない言い回し。
それが、余計に苛立たしい。
「厳しいて、何をや」
声が少し荒くなる。
湯気の中で、はゆっくりと息を吐いた。
「直哉様を喜ばせるように、と」
その言葉は、ひどく静かだった。
「そのための、躾でした」
躾。
その単語が、胸の奥で鈍く響く。
直哉は思わず舌打ちしそうになるのを堪える。
「……触られたんか」
問いは、低く、重い。
は顔を上げない。
「作法を教わっただけです」
それ以上は語らない、と線引きをしているような
肯定もしない。
否定もしない。
その曖昧さが、直哉の胸をざらりと削る。
「誰にや」
「……家の中の、大人です」
また、曖昧だ。
直哉の拳が、湯の中で強く握られる。
「親父かって聞いとる」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて、は小さく首を振った。
「……父は、作法の監督をしていただけです」
監督。
その言葉の意味を、直哉は瞬時に理解する。
自分で手は出さない。
だが、管理をされていた。
胸の奥に、説明のつかない怒りが込み上げる。
「……そうか」
声が、低く沈むのが自分でもわかった。
何に怒っているのか、わからない。
彼女にか。
父親にか。
それとも、その過去に嫉妬している自分にか。
湯気の中、直哉はじっとを見る。
伏せられたままの横顔は、静かだ。
傷ついた様子も、取り繕う様子もない。
ただ、現実を受け入れている
その姿が、余計に胸を掻き乱す。
「……二度と、その“躾”思い出して俺に触るな」